リベンジ-7(サチ)

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陸がジュースをねだっている。

「ちょっと、買ってくるね」

背後からユウちゃんに声をかられる。けれども、振り返る余裕がなかった。

歩み寄るあたしを、深緑のジャガーにもたれながら、ヒロはじっと眺めている。

「どうした、しかめっ面して。参観でユウタがそそうでもしたか」

からかうような口調で、ヒロは薄い唇を片側だけ上げてみせた。

「…ユウちゃんが」

どうした?

眼鏡の奥の眼差しだけで、ヒロはあいの手を入れてくる。

「春まで仕事を休むって」

あぁ、またヒロを困らせる。彼の苦労を思うと胸が痛むというものだ。

「それで?」

…それでって。冗談だと思っているのだろうか。

いや、あんな委員まで引き受けたとあっては、ユウちゃんは本気のはずだ。

「春まで仕事を控える件についてなら、俺は了解している」

…え?

「その後も映画は当分、年に一本のペースでいくつもりだ」

何言っているの、ヒロ。やっとユウちゃんは目指していた場所に辿り着いたというのに…

いや、それはユウちゃんだけのものではなくて。

「だって、世界をステージにする役者になるって二人の…ヒロとユウちゃんの夢じゃないっ」

自分でも驚く程に声を張り上げていた。

「あ…たしのせい?」

ふらふらして危なっかしいから?

胸に鉛が詰め込まれたように重く息苦しい。

あたしのせい?

ユウちゃんの躍進をいつも応援してくれるファンの人達。

結婚を発表した時、こんな平凡な女が相手だと知れても、皆、意外な程にすんなりと受け入れてくれた。

それはきっと、あの対談の放送で、不意打ちの告白が印象深く視聴者の心を捕らえていたからなのだろうけれど…

沢山のお祝いカードが壇プロダクションに舞い込み、ヒロが一部をシンガポールにまで持ってきてくれた。

“ユウちゃんを支えてあげてください”

そんな願いが連なったメッセージの数々…

「馬ぁ鹿」

おでこをペチンと小突かれる。

「いてっ」

不意打ちの襲撃に、情けない声をあげてしまった。

また馬鹿って言った。

ヒロってやっぱり今でもあたしの事、馬鹿って思っているんだ。

「…サチ」

ヒロは妙にかしこまった口調で、あたしの名を呼んだ。

おでこを押さえながら、更なる奇襲に備え、警戒した視線を向ける。

えっ、何?

すぐには状況が飲み込めなかった。

ヒロが深々とあたしに頭を下げていた。

えぇっと、あたしそんなに大袈裟なリアクションしてた?

あたふたとおでこから手を離してみたが、ヒロはまだ頭を垂れたままだ。

「一番大変な時期に、お前にばかり負担をかけて申し訳なかった」

ヒロの深いバリトンの声色は、誠意という重みを伴って、あたしの鼓膜を揺らした。

「足場は固まった。いい役者にもなった。これからより演技に深みを増していく為に、あいつは自分の人生を大切に歩むことが必要だ」

ヒロはすっと息をついた。

繋げる言葉を前に、一瞬ためらうかのように。

「ずっと借りっぱなしで悪かった。ユウタをお前に返す」

手放せなくて…

決して口にはしないけれど、そんな呟きが隠されている気がした。

同じ夢を抱き、歩んできた絆。

ひと時の休息に歩調が緩もうとも、絶妙なバランスは揺るぎないものに違いない。

ユウちゃんを輝かせ、羽ばたかせる源。

あの大輪の薔薇のようにヒロに育まれ、ユウちゃんは見事な花を咲かせたのだ。

それは、夫婦となったあたしとは全く異質の関係。

けれども、勝るとも劣らない深い繋がり。

“ユウタをお前に返す”

この人の愛はどうしてこんなにも広いのだろう。

ユウちゃんへの想いが揺るがないのは、何故なのだろう。

「…遅れた分の追加料金をもらわなくちゃね」

あたしはそう言葉を返した。

めいいっぱいおどけていないと、喉元まで忍び寄った嗚咽が音をたててしまいそうだ。

「その分の利子は用意してある」

さらりとヒロは言うと、車の扉を開いた。

車内から小さくジャズが流れてきた。

カーステレオがつきっぱなしになっていた事に今更に気付く。

大人にお似合いの、スタンダードなジャズ。

ヒロは助手席の鞄に手を伸ばした。

だけど、不意に顔をあげると、強ばった顔でフロントガラスを凝視した。

見た事のないヒロの顔色に、嫌な予感がした。

どう…したの?

「サチ、後ろに下がれ」

それは命令だった。低く有無を言わせぬ口調に、胸がドクリと嫌な音を立てた。

跳ね上がるように一歩退いた瞬間、乱暴に運転席のドアが閉められる。

グォンっ

異常なアクセル音。

ヒロが見ていた視線を辿る。

な…に?

駐車場前の狭いニ車線道路。

その反対車線でユウちゃんが、陸を追いかけて抱きとめる光景が見えた。

鬼ごっこ?

いや、その背後から迫りくるトラックが、ガタガタと車体を揺らしながら二人を追いかけてくる。

陸を抱えたものの、バランスを崩したユウちゃんがアスファルトに向かって倒れていった。

血の気が凍り付いたまま、立ち尽くすあたしの脇で、爆音をあげたジャガーが飛び出していく。

目をあけている事なんて出来なかった。

両手で顔を覆い隠しても、鳴り響く凄まじい音が、目の前の現実を知らしめてくる。

けたましいブレーキ音。

金属がぶつかり合う、クラッシュ音。

全てが一瞬の出来事だった。

しんとした静寂が、息を潜めて訪れる。

いや、小さく鳴り響くジャズが漏れていた。

壊れてしまったカーステレオが、同じフレーズを繰り返し流している。

瞼をあけて、何を失ったか、知ってしまうのが怖かった。

膝が情けないほどにがくがくと震える。

ゆっくりと瞼を開く。

この現実から逃げ惑う訳にはいかないのだと、必死に自分に繰り返し言い聞かせながら…

ユウちゃんがアスファルトの上に、陸を抱いたまま横たわっていた。

そのすぐ傍らに、トラックを阻止するように停車した深緑のジャガー。

辺り一面に飛び散ったフロントガラスの残骸。

ユウちゃんの腕の隙間から、陸が頭を覗かせた。

のろのろとその腕を抜け出し、ぺたりと地面にしゃがみこむ。

「陸っ、陸っ」

声にならない叫びを上げると、陸は身体をびくりと跳ね上げこちらを振り向いた。

そしておもむろに天を仰ぎ、わんわんと泣き出した。

元気な声に胸を撫で下ろす。

続けてもぞりと上半身を起こしたユウちゃんが、ぼんやりと視線を泳がせている。

何が起きたのかわからない…そんな眼差しだ。

傍らで泣いている陸をユウちゃんは抱き寄せた。

もつれる足で、やっとその場に辿り着いたあたしは、二人に飛びつくように覆い被さった。

陸の頭を撫で、頬をさすり、異常がないかをチェックする。

大丈夫みたいだ。そう、胸を撫で下ろし今度はユウちゃんの様子を確認しようとすると…拗ねた眼差しとぶつかる。

いや、どっちが大事とかじゃなくって、陸はまだ子供だから…

あ…れ…。やだ、ユウちゃんそれ…なに?

ユウちゃんの手の甲が、目を覆いたくなるほどに血でまみれていた。

ぐらり。

ショックで視界が歪んだ気がした。

自分の瞼から、ボロボロと涙が溢れるのがわかった。

「大丈夫」

ベロンと、ユウちゃんは舌で傷口を舐めてみせた。

そして、はっとしたように小さく音楽を響かせるジャガーを振り返った。

「嘘…だろ…っ、っっ岡部!!!!」

軽トラックの先端がぐしゃりと深緑のボディにめり込んでいた。

ヒロが守ってくれた。

ヒロ…ヒロが…

坂の上から人が走ってきた。

どうしよう、どうしようと、口ずさみながら青ざめている。

清涼飲料水のロゴ入りの作業服。

どうやら、軽トラックの持ち主らしい。

辺りを見回すが、元々車の通りの少ない裏道。誰の姿も認めることが出来ない。

ユウちゃんと作業服の人が、ジャガーのドアをこじ開けようとするが、歪んでいるのかなかなか思うようにいかない。

嫌だ…嫌だよヒロ…

「岡部っ、おいっ、返事しろよっ」

ガチャガチャと繰り返し音を立てる。

車の背後で、あたしと陸は祈るように抱き合い立ち尽くしていた。

しゃくりあげながら、じっと車を見詰める陸を連れて、もう一歩そこに近づく事は躊躇した。

車内の様子は、ひび割れたガラスが歪んだ幾何学模様を描いていて、伺い知る事が出来ない。

「救急車!」

ユウちゃんの叫び声に、隣の作業員があたふたとポケットを探っている。

「…事務所に電話しろ、ユウタ。檀社長に…指示を仰げ」

ぷつりとカーステレオの音が消えると、代わりにそうヒロが呟く声が聞こえた。

「てめぇ、生きてんのかよ!おいっ」

取り乱したユウちゃんの怒鳴り声。

「…落ち着け、ユウタ。腕の骨が折れたみたいだが、それだけだ。檀社長に電話して処理してもらえ。
事務所から近い場所だから、すぐに誰かが駆けつける」

「馬っ鹿野郎、お前、こんな時にまでよ…」

ユウちゃんの声は震えていた。

陸がぎゅっとあたしの首に手を回してしがみついてくる。

「ヒロ、だいじょうぶだよね?、ね、だいじょうぶだよね?」

繰り返ししゃくりあげながら、怯えた声で訊ねてくる。

その背中を擦りながら、祈る気持ちで答えてみせる。

「大丈夫、ヒロは大丈夫だから…」

 

 

この病院とは縁があるのかもしれない。

壇プロダクションのスタッフが手配したのは、先日陸がお世話になった総合病院だった。

顔色の悪いヒロの様子に、頭を打っている可能性も否定できないと、処置と検査はすぐに始まった。

主の居ない病室で、あたしたちはじっと結果を待った。

同じ個室と言えども、先日とは明らかにランクの違う特別室。

さすが、壇プロダクションのスタッフ。

手際の良さはヒロ仕込みとでもいうのだろうか…とにかく全てにおいて迅速な対応だった。

革張りのソファーで泣き疲れた陸が体を丸めて眠っている。

窓際に立ったユウちゃんは、じっと固い表情のまま外を睨んでいる。

肘にまで及ぶ両腕の包帯が痛々しい。

薄闇を纏う外の様子を背景に、ユウちゃんの姿が窓硝子に映し出されている。

もうどのくらいそうしているだろう。

あたしはそっとユウちゃんの背後に忍び寄った。

こちらの気配に気付いていながらも、振り向こうとしない。

かける言葉を探してみたけれど、どれも口には出来なくて…

不安や悲しみの重荷を耐える背中に、そっと寄り添ってみる。

「…さっちゃん、もしかして誘っているの?」

「へ?」

「今日は随分、積極的だなぁって…そんな風に迫られたら、その気になっちゃうよ。だってさ…ほら」

ちらりとユウちゃんは病室のベッドに目配せをする。

「ちっ…ちがっ」

馬鹿ねと、呆れた声を出す。

ユウちゃんはからかうような笑いを浮かべている。

「あたしはね、ユウちゃんを少しでも…」

「…うん」

小さく呟くと、ユウちゃんの顔がくしゃりと歪んだ。

包帯が巻かれた腕が伸びてきて、覆い被さるように抱き締められる。

ユウちゃんが…泣いている。

肩を小さく震わせて、声を押し殺し、あたしにしがみついて…

こんなユウちゃんを知らない。

傷だらけの腕をそっとさすって慰める。

きっと大丈夫。二人で…ううん、陸も三人で祈りを捧げよう。

ヒロはなんともない。

腕は折れちゃったかもしれない。だったら皆でお世話をしてあげよう。他はきっとなんともないよ。

ね、ユウちゃん。

だから憎まれ口を叩かないで、ヒロに優しくしてあげようね。

「さっちゃん、俺…情けないんだけどさ」

節々に言葉を詰まらせながら、ユウちゃんが耳元で訴える。

「あいつ…岡部に何かあったら…さ」

ゆっくりでいいよ。

落ち着いてからでいいよ。

あたしはユウちゃんを抱き返しながら、そう繰り返した。

「俺…もうカメラの前に立てないかもしれない…」

ズキンと、その言葉はあたしの胸を貫いた。

あぁ、そうかもしれない。ユウちゃんとヒロは二人で一役なのだから。

観客の視線を捕らえるオーラの影には、ヒロの魔力が潜んでいるのだから。

「ユウちゃん安心して」

意外な言葉だったのだろう。

ユウちゃんが耳元で「えっ」と呟く。

「仕事なんて出来なくてもあたしが絵本を描いて稼ぐから、ユウちゃんは主夫してくれればいいからね。
でも稼ぎはまだまだだから…やりくり大変だけど宜しくお願いします」

ユウちゃんの不安が、仕事を失う事なんかじゃないなんてわかっていた。

けれども、あえてそんな台詞で茶化してみせた。

ねっと、同意を求めると、あたしに埋めていた顔をあげて、ユウちゃんはきょとんとした眼差しを向けてくる。

「あたしだってユウちゃんが寄り掛かってきた時には、支えてあげられるんだから」

頼りなさそうな腕をポンポンと叩いてみせると、ユウちゃんはプッと吹き出した。

「まいったな…さっちゃんにはかなわないや……本当にさ」

再びユウちゃんは、あたしを抱き寄せる。

今度はそっと、包みこむように。

さっちゃん

さっちゃん

ひと呼吸ごとに、何度も囁くように耳元で呼ばれる。

まるで叱られたあとに、ご機嫌を伺う陸と同じだ。

頭の隅で二人の顔が重なり、あたしは笑いを噛み殺す。

コンコン。

不意打ちに部屋の扉がノックされる。

咎められるはずもないのに、条件反射であたし達はパッと一歩距離をあけた。

入ってきたのは、壇社長が押す車椅子に乗ったヒロだった。

「くまなく検査したが、腕の骨折と足の軽い打撲だけのようだ。心配かけたね、桂木君、サチさん」

よかった…壇社長の言葉に、心底胸を撫で下ろしユウちゃんと顔を見合わせる。

きゅっきゅっ

床を鳴らしながら片手で器用に車輪を回し、ヒロがあたし達に近づいて来る。

いや、ユウちゃんに…だ。

低い位置からジロリと見上げ、おもむろにユウちゃんの腕を掴み、まじまじと点検を始める。

「…顔は大丈夫のようだな」

「おう。大事な商売道具だからな」

二人らしい皮肉を投げ合いながら、お互いの安否を確認し合っている。

でも、ヒロは気付いているはずだ。

目尻が赤く染まったユウちゃんの涙の軌跡に。

「今日は私が付き添うから、君達は帰ってゆっくり休んでくれたまえ」

「付き添いなんて大袈裟ですよ」

ヒロがそっけなく壇社長の申し入れを拒絶する。

「たまには、仕事抜きで向かい合うのもいいじゃないか」

全然気にも留めない様子で、壇社長はソファーに向かって歩いていった。

目を細め、陸の寝顔を覗き込んでいる。

「いい子に育ったね。サチさん」

あ、やっぱり血が繋がっているんだな。うつむいた感じが、ヒロに似ている。

ロマンスグレーとは、まさに壇社長のような人の為にある言葉だ。

「桂木君の面影がありながらも、あどけない雰囲気がピュアでいい。今まさに旬だね。ハリウッドスターを差しおいて、子役が主役を張る時代だ」

えっと、もしかしてスカウトされてる?

返事に困り、無理に取り繕った愛想笑いで応える。

え~と。

え~と。

自分でもあたふたと百面相しているのがわかる。

「冗談、冗談」

ダンディな壇社長が、大口を開けてアハハっと笑う。

「北原プロデューサーが、サチさんに会いたいなぁってよく言うけれど、分かる気がするよ。いい味だしてるねサチさんは」

肩をポンポンと叩かれる。

…いい味ってどんな味?

「サチ、テーブルのところにある鞄を取ってくれないか」

ヒロがベッドサイドにあるテーブルに目配せをする。

え?はいはい。

お世話、お世話。

手入れの行き届いたヒロのアタッシュケースを、仰せのままにうやうやしく運ぶ。

包帯だらけの腕で支えながら、鞄の金具を手慣れた様子で外し、ヒロは一通の封筒を手渡してくる。

「サチ、さっき渡しそびれた利子だ。あとでゆっくり見てくれ」

車椅子のせいで、いつもと違う目線にいるヒロを見つめながら、あたしはその封筒を不思議な気持ちで受け取った。

 

 

外はすっかりと日が暮れ、病棟の窓から漏れる明かりが、夜の訪れを際立たせる。

外気に触れたせいか、あたしに抱かれて眠っていた陸が目を覚ました。

「…おなか…へった」

地面に降ろすとふらふらと、寝ぼけた足取りで歩き出す。

「起きたな、大魔人」

ユウちゃんは、訳の分からない減らず口を叩いて、瞼がまだ重そうな陸をからかっている。

「…抱っこ」

陸がユウちゃんのズボンの裾を引っ張る。

「駄目よ、陸。ユウちゃん怪我してるんだから」

「肩車なら大丈夫だよ」

ヒョイとユウちゃんは陸を肩に乗せた。

「わぁ、たっかい。さっちゃんよりボクのっぽさん」

眠気が飛んでいったようだ。

目新しい目線にはしゃいでいる。

「おい、目隠しすんな。手はおでこだ」

どこを掴んでいいのか、まだ勝手のわからない陸に指導が入る。

そういえば、肩車なんて今までする機会がなかったかも。

父子らしい二人の姿にちょっと感動する。

「さっちゃん、その袋なぁに?」

陸がさっきの封筒に興味を示す。

「お菓子?」

中身は紙っぺらと言う手応えの封筒。お菓子は入っていないと思う。

「ヒロがくれたんだよ」

その名に陸は一瞬黙りこんだ。

「ヒロ…元気になった?」

陸の瞳が不安で曇っている。

「うん。腕がまだ痛いから、治るまで病院にお泊まりしなくちゃいけないけど、他は元気だって。お熱もないって」

陸は嬉しそうにうなずいている。

嬉しすぎてもじもじと、手元の茂みをいじくり始める。

「いでっ、髪引っ張んな陸。ハゲちまう」

ユウちゃんが再び陸の手をおでこへ導く。

「ねぇ、なに?ヒロなにくれたの?」

お披露目しないと収まりそうにない。

あたしは病院前ロータリーの街灯の下で、封筒を開いた。

A4サイズの封筒の中身は、大きく引き延ばされた写真だった。

これって…

ブルー、ブルー、ブルー。

懐かしい色彩に胸が跳ね上がる。

空撮した島の情景。

あおいゼリーに浮かぶ生クリームにも似た純白のビーチ。

桟橋の先端には、蕾のように浮かぶ水上コテージがひとつ。

「…あ、知ってる。さっちゃんが前に見せてくれたよ。えっとね…モルデブっ」

モルデブ?いや、ちょっと違うと思う。

「モルディブだよ」

「モル…デブ」

陸の舌足らずなお口には、この微妙なアクセントは難しいらしい。

「ハリウッドってとこには桁違いの金持ちがいてさ、ちょっとしたパーティで知り合いになった人が所有している島なんだ」

「個人の持ち物なの?…すごい」

「岡部が交渉してくれてさ…貸してくれる事になったんだ。
モルディブは思い出深い最高の場所だって話したら向こうも喜んでくれて…
歩いて五分足らずの本当に小さな島だよ。もちろん他にゲストは誰もいない。俺達だけの貸し切り」

「…信じ…られない」

「十月の中旬出発。運動会終わったあとで良かったよ」

あとひと月。本当に?

「ねえ、ボクも連れていってくれるの?」

置いていかれるとでも思っているのか、陸が不安そうに訪ねてくる。

「家族みんなで行くんだよ」

陸にあの海を見せてあげられる。

その現実に、胸の鼓動が一段と早まる気がした。

「ねぇ、ヒロもいっしょに行くんだよね」

え?一瞬、ユウちゃんと顔を見合わせた。

「だって、ヒロはボク達の家族でしょう?」

子供は時々、突拍子ない事を言う。

けれども、何気無く放った無邪気な言葉には、大人が気付かない真実が隠されている事がある。

“ヒロはボク達の家族でしょう?”

「そうだね。ヒロも一緒に行こう」

「置いていったら泣きべそかくかもしれないから、連れていってやるか」

…ユウちゃんたら、素直じゃないんだから。

だけど、憎まれ口を叩きながらも、愉快そうに口元が緩んでいるよ。

「モルデブ~っ」

陸が、両手を広げながら元気に叫ぶ。

まだ幼さを覗かせる舌足らずな声が、しんと静まり返った都会の夜空に大きく響いた。

 

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