小説みたいな恋人ごっこ(ユウタ)10話

投稿日:2018-07-16 更新日:

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おかしいったらありしねぇ。

ディズニーランドから、再び別荘に寄るのが面倒臭くて、タクシーで直接マンションに帰ってきた。上りのエレベーターのボタンを押すとすぐに扉が開いたのだが、そこに地下の駐車場から上がってきた岡部が立っていたのだ。

四階のボタンがすでに点灯している。だから俺は行き先のボタンを押さずにいた。このマンションは五階建てだ。最上階のペントハウスは超有名企業の社長が有していて、二階から四階はワンフロアーをニ室づつ分けている。つまり全部で七室しかないという事だ。

東京タワーが見える高台の超高級マンションは、セキュリティも最先端。指紋の照合で開く二重チェックの玄関。岡部と俺は四階のニ室をシェアしている。他に住人は居ない。だから岡部にとって、見ず知らずの女が四階に降りるなんて奇妙以外の何事でもないって訳だ。

四階で開いたエレベーターの扉を先にすり抜ける俺の背後から奴の声が響いた。

「Excuse me」

吹き出しそうになっちまった。まさか、岡部まで俺だと気付かないなんて。しかも、ブルーコンタクトの恩恵か、外人だと勘違いしてやがるとは……呼吸を整え、振り返ってみる。

「Are you a stray sheep?」 (迷子なのかな?)

口元だけの笑顔を浮かべながら、そう言って奴は肩をすくめてみせた。眼鏡の奥からは隙のない眼差し。ホント、コイツってどんな女相手でも愛想ないのな。一歩一歩、奴に向かって近づいて行く。女であることを意識しながら、ゆっくりと。

タランティーノの映画に出てくる女優さんみたいと、サチは言っていた。彼の映画の妖艶に女が男を誘うワンシーンを思い描きながら、意味深な笑顔を浮かべてみる。じっと俺を眺めていた奴の表情が少し変化していくのが見て取れた。不思議な物を見つけてしまったようにぼんやりとしだしたのだ。

壁際にコイツが追い詰められるなんてな。息が掛かるような距離に滑り込むと、岡部はコーナーに追い込まれたボクサーのように後ずさりしていった。

なんだよ? どうしたんだよ。

いつも蛇みたいに睨みきかせてるくせに、急に飲み込まれる寸前のネズミみたいに立ち尽くしている。耳たぶがほんのり染まっているのが見て取れて、まさか……と俺は笑いを噛み殺した。岡部ってこういうのがタイプだった?

悪ふざけも最高潮。立ち尽くす岡部の首に、甘えた仕草で腕を回す。そして、その肩に顎をそっと乗せてみた。熱を帯びた奴の耳たぶに息を吹きかけながら囁いてやる。

「ばぁか。何勘違いしてやがる。俺だよ」

ドンッ。

力の抜けた腕で、奴は俺を突き飛ばした。その時の奴の顔っていったら…傑作っ。

「……なっ……ユウタっ? お前そんな趣味あったのか?」

「趣味じゃねぇ、人目を欺く究極の変装だ」

再び岡部は信じられないといった形相でまじまじと俺を見た。

「いい女だろ」

奴の耳たぶはまだ赤いままだ。だから、からかった声色で続けて言ってやる。

「完全に俺に堕ちてたな」

もう、その次の日から超ハードスケジュンルが始まった。映画の撮影はロケが多く、まるでドサ回りの気分。あぁ、こんなんじゃ一体いつサチに会えるんだよ。それにさ、あれってイエスって答えなんだよな?

あの後、二度目のキスは不意打ちなんかじゃなかった。サチはちゃんと受け止めてくれた。メールアドレスも交換した。毎日俺が送るメールに返事もしてくれる。

……って言うか、あれって返事だよな?

その日、目にした雲や月。落としたキャラメルに群がる蟻の行列。葉っぱの先っちょにぶら下がるセミの抜け殻。サチが添付してくる写真はまるで小学生の自由研究みたいだ。

だけど、そう、これが彼女の視点。サチのわくわくの源。こんなふうにお互いの日常の断片を教え合う毎日。

会いたい。
会いたい。
抱き締めてキスしてもいい?

たまに、堪え切れずにこんなメールを送ってみる。サチから同じ台詞が返ってくる事はまだない。

わかってる。俺一人舞い上がっちまって馬鹿みたいだなんて。あれから一度も会っていないんだ。積み上げる時間も作れなくて、彼女に何を期待するというのだろう。

沖縄での最後のロケは最悪だった。夏休みだからだろうか、観光客がやたら多い。撮影自体は、滞在しているホテルのビーチから船で30分程の無人島だから、人目にさらされる事はないのだが周辺の観光客に俺がいる事がいつの間にか知れ渡って、部屋から食事に出るのもひと騒動だ。

サチに恋してみて知った忍ぶ気持ちってやつ。だから俺はファンに今まで以上に親近感も持ったし、サインや握手にも応えるように心掛けてきた。

だけど……沖縄の離島だというのに、どんどん噂を聞きつけたファンが上陸してくる。撮影以外、ホテルの部屋から一歩も外に出る事が出来なかった。食事ですら、ずっとルームサービスのままだ。

いくらスィートルームっていったって、一週間もこれじゃあ、息苦しいったらありゃしねぇ。イライラも限界だ。緩和剤はサチからのメールのみ。しかもさ、やってくれたんだよな、あの女、杏里の野郎。台詞合わせだなんて人の部屋に押しかけてきたかと思うと、ちょっと目を離した隙にベランダに勝手に出ていやがった。

あのな、一番最上階の海の見えるスィートルームが俺の部屋だなんてもう皆にバレバレな訳よ。そのベランダにのこのこ出て行くなんて、どういう神経してるのかね。慌てて部屋に引きずり込む為、ベランダにすっ飛んで行った。

「やだぁ、ユウタったら、そんな焦っちゃって」

何を勘違いしていやがるのか、早く入れと手招きする俺の腕にするりと潜り込んでくる。
馬っ鹿……ちらりとビーチに目をやると、水着姿の女が何人かキャアキャア言いながらこちらを指さしているのが見える。この女、確信犯だな。杏里を追い出し、岡部をすぐに呼びつける。

「ったく、タチ悪ぃな、あの女」

「写真は撮られたか? ユウタ」

「とりあえず、上を見上げてた奴等の中にスマホやカメラを向けているのはいなかったけどよ、見られたのは事実だな」

「噂は流れるだろうが、ま、映画の相手役と噂って言うのはつきものだし、宣伝にもなる」

「冗談やめろよな。あんな性悪女、勘弁して欲しいぜ。あいつ絶対わざとだぜ」

「杏里、あの性格が災いして化粧品会社のCMぽしゃったらしいからな。生き残るための話題作りに必死なんだろう」

「自業自得だっつーの。俺、杏里には二度と関わりたくねぇからな。あいつと絡む仕事やらねぇからな」

あぁ、もう最悪だ。

「お前がこれから関わっていく映画は杏里がのこのこ顔を出せるレベルじゃないさ。だから……」

振り落とされるなよと、岡部は言った。

「仰せのままに、行けるトコまで昇るだけだ。だけどさぁ」

眼鏡の奥の奴の目が、何だよと、刺すようなレーザービームを送ってくる。

「俺、潤いもなくっちゃ、干上がっちまう」

やっぱり、噂は島中に一瞬にして広まったみたいだ。今はネットもあるから素人の噂話だろうと、奴等はすぐに嗅ぎつける。パパラッチ……スクープ屋だ。あ〜あ、明日の夜に東京へ帰ったら、サチを食事にでも誘おうと思っていたのに。好きな女に一ヶ月以上会えなかったら、誰だってへこむよな。

沖縄から羽田に向かう飛行機の中、俺はよっぽどせっぱ詰まった顔をしていたらしい。眉間に皺を寄せた顔を近づけて、岡部が耳打ちしてくる。

「ユウタ、今日は止めとけ。杏里との写真狙っている奴等に、マンション張られているぞ、きっと」

俺は岡部を不機嫌そうに一瞥すると、ふてくされた気分で、窓辺にもたれかかった。

「女装も駄目だ。バレたら、命取りになるほどアレはやばい」

そのネタふってくるのかよ。普段だったらあの時の岡部の様子を引き出して、からかってやるところだが、そんな元気も消え失せた。

「別荘も当分は行かない方がいい。万が一、場所がわれたら秘密基地じゃなくなるだろ」

もう、それ以上何も言うな……八方塞がりだぜ。

「なぁ、俺に女がいるのってバレたらまずいのかよ」

「交際宣言でもする気か? サチは業界人って訳じゃないからな、マスコミの興味は彼女に集中するだろう。ファンも、前に杏里と噂がたった時、ブーイングのメール殺到したし、皆がどういう行動に出るのか予測不可能だ」

好奇の目にサチがさらされるなんて……彼女を汚しちまう気がして、想像するだけでも胸が痛む。うつむいて大げさに顔を両手で覆い、溜め息をつく。

「やっぱり、ここは岡部ちゃんの知恵を借りないとしのげそうもないよね」

指の隙間からちらりと奴を覗き見る。岡部は眉間の皺を深めて、怪訝そうに俺と視線を絡めた。

「俺の知恵だと?」

岡部、三十路に足を突っ込んでるんだぜ? そんな顔してると、本物の皺になっちゃうよ? その言葉は口にせずにゴクリと飲み込んだ。やっぱりコイツしか頼る奴はいないのだから。

「芸能界の裏の裏まで知り尽くした岡部ちゃんだもの、サチと俺が上手く付き合っていく抜け道、伝授してよ」

顔の正面で手を合わせ、岡部を拝む仕草をしてみせる。

「……買いかぶり過ぎだ。俺は教祖じゃねぇ」

「もし、いいアイディアくれるなら、あの格好して岡部ちゃんとデートしてあげるからさ」

「あの格好?」

一段声を落として、内緒話を岡部の耳に吹きかける。

「ショートボブにブルーアイズの女だよ」

びくりっ。岡部は弾かれたように俺から離れた。

「馬っ鹿、禁止だって言っただろう」

あらあら、そんなに慌てちゃって。吹き出しそうになるのを堪えながら、俺は神妙な面持ちで再びすがるような眼差しを送ってみる。

「……ないことはないけど、お前ちょっと立場ないかもよ?」

立場がない? いや、サチに会えない辛さを思えば、俺なんでも我慢できるけど。女の姿で初めてのキスを交わした俺に、体裁なんて既に無い。固い決意を胸に岡部を見つめる。

「教えてよ、それ」

淡々と岡部は信じられないカラクリを話し始めた。さっきの動揺した仕草は消え失せていた。

「サチを俺の女にする」

岡部、そろそろ着いただろうか。落ち着かずに、部屋をうろうろと歩き回る。

わかってる。わかってるさ、フリするだけだなんて。確かにナイスな発想だ。……だけどよ。

周囲にサチは岡部の恋人だと認知させる。そうすれば、このマンションに出入りしたり、俺の周りにいても怪しまれずに済むって訳だ。小説みたいな恋人ごっこ…

岡部の恋人……考えるだけで涙出そうな程、切ないんだけど。カッカと火が出るくらい、体の奥が熱くなるんですけど。

畜生っ、面白くねぇ!

だけど、それっきゃない。実際、空港からバイクに乗ったパパラッチがマンションまで追いかけてきていた。岡部のこの斬新な閃きがなければ、今日サチに会う事すらかなわなかったのだから。

岡部とサチが恋人ごっこ……

ピピッ。スマホの着信音だ。岡部から……。

『到着した。俺の部屋で待っている』

はぁ? どうして隣なの。サチがなんで岡部の部屋に行っちまう訳? エレベーターを上ってしまえば、パパラッチの目に触れる心配はないはずだ。俺じゃない男の部屋に彼女がいるなんて……俺は玄関を乱暴に開けると、裸足のままズカズカとエレベーターホールの逆に位置する岡部の部屋に乱入した。鍵はかかっていなかった。足早に廊下を直進してリビングに向かう。

「ユウタ、早いな、メールしてから一分経ったか?」

岡部はすでに寛いだ様子で黒いソファーにもたれている。何、その余裕。どうして机の上に、食べかけのプッチンプリンなんかあるんだよ。到着してから少し時間が経過している証拠に気持ちが逆撫でされる。

「わざわざお前のお姫様を迎えに行ったんだぜ、顔赤くしてブスくれた顔するな」

お姫様……あれ、サチは?

「ヒロ、ブラックでいいよね?」

キッチンの方から、聞き覚えのある声が聞こえる。

ヒロ? 誰だっけ、それ。声がした方に視線を移すと、カウンターキッチンの中にサチがいた。片手にコーヒーカップを持っている。

「あ、桂木さん、お久しぶりです」

にこりと微笑みかけられ、懐かしさにドクンと胸が跳ね上がる。

「桂木さんは、コーヒー、何を入れますか?」

「……俺もブラックで」

砂糖いっこにミルクたっぷりとは何故か言い辛い。

「はい、どうぞ」

カチリとソファーの前のローテーブルに、サチはコーヒーを並べた。

「ヒロ、あたしお砂糖入れたいんだけど、場所わからなくて」

ちょっと待っていてと岡部は立ち上がると、ってキッチンに消えていった。

ヒロ……そうだ岡部の名前だ。

は? どういう事。俺が桂木さんなのに、どうしてヤツが名前で呼ばれているんだよ。

「サチ、ユウタにも砂糖回してやって、こいつにブラックは苦いだろうから。ユウタ、ミルクはないから我慢しろ」

はぁ〜〜? 『サチ』だと?

「ユウタ、頭から湯気出てるぞ」

「桂木さん、顔真っ赤ですよぉ」

何か言いたいのだが言葉が見つからない。

「練習しているだけだ。そんな泣きそうな顔すんな」

……練習だぁ?

「カップルらしく見えましたか?よくこんなこと考え付きましたよね。小説みたい、こんな恋人ごっこなんて」

クスクスとサチのいつもの含み笑いが耳をくすぐる。

「名前で呼び合うだけで、それらしく見えるだろう」

見えたさ。あまりにリアルで、心臓にバクバク負荷がかかっちまう程だ。

「ずるいな。サチさん、俺も名前で呼んで」

たまらなく、拗ねた視線を彼女に流してみる。

「お前を彼女が呼び捨てにしたら、俺との格差がなくなるだろうが」

余計な言葉を岡部が挟む。首を締めてやろうかと思った。

「ユウちゃんくらいだったらどうかしら?」

サチが救いの手を差しのべる。岡部はしばらく考えこんでいる。

「ね、ユウちゃん」

ドキューンっ。

胸を撃ち抜かれた気分。顔が……。

「ユウタ、顔っ。外じゃ許さないぞ、そんなデレデレした顔」

俺、どんな顔しちゃってるの? とにかく顔が熱い。だけど、もうひとつ、決めなきゃ。大事なコト。

「サチって呼ぶのも駄目?」

「駄目だ他の呼び方にしろ。俺と同じじゃ意味がない」

岡部のあまりの即答に、幸せな気分がしぼんでいく。

「じゃあ、さっちゃんにしましょう」

サチがそう提案してきた。

ぶっ。

……何だ今の音は。

「失礼」

岡部の肩が笑いを堪えてふるふると震えている。

さっちゃん……何故か懐かしさを呼び起こす愛称だ。いいじゃん。可愛いじゃん。
だけど頭で繰り返すだけで、気恥ずかしさになかなか口に出来ない。

ふわり。

サチの手が伸びてきて俺のオデコにそっと触れた。冷たくて……気持ちいい。

「あ〜、やっぱり熱ありますよ」

熱? そりゃそうだろう、さっきからドキドキしたりハラハラしたり、気持ちはジェットコースターのごとく急上昇、急降下。

ぴたっ。

んだよ、岡部まで……。

「三十八度は越えてるな。夏風邪だユウタ、すぐに寝ろ」

へぇ? まじで。

「寝ろって……せっかく……」

やっとサチに会えたのに。しかももう遅くて時間だってないのに。もったいなくて寝れるわけねぇじゃん。

「明日は昼からコマーシャル撮影だ。体調不良じゃこなせないぞ」

やっと会えたのに。
やっと会えたのに。
ショックで目の前が霞んで見える。

「……大丈夫ですよ。あたし、朝まで看病できますから」

えっ? 思いがけないサチの言葉に思考回路が止まる。

「十歳離れた弟がいてね、よく熱をだす子だったの。だから、あたし看病慣れしてるんです」

ベッドに行こうねと、手を差し出される。ベッド……。

早く楽しもうとその場所に俺を誘い込む女達の指先を、苦笑いしながら眺めた夜の数々。だけど、そんな色気を微塵も含まない仕草で手を伸ばしてくるサチの、ほんのり桜色に染まった爪に視線が釘付けになる。

やばい……体が火照るのは熱のせいだけじゃない気がする。


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