サチとの連絡はメールがほとんどだ。もし彼女が電話をくれても、俺が話を出来る状況でいる確率は低いし、仕事が終わった後ゆっくりと……なんて思っても、実際帰りは夜中になることがほとんどだから。
明日は恵比寿のスタジオで、ファッション雑誌の写真撮影。抱かれたい男ナンバーワン特集の表紙を飾るそうだ。五年連覇。一体何人の女がそう言ったというのか。
先日ソファベッドの上でいい子にしてないと一緒に眠ってあげないよと言っていたサチを思い出し、苦笑いを噛み殺す。
撮影の後は、映画の宣伝取材がひとつ。仕事の進み具合によっては、夕方から時間が空くかもしれない。サチを食事にでも誘おうか。おとといは、熱なんて出しちまって、面倒掛け通しだ。広尾にある隠れ家料亭。あそこなら芸能人慣れしているし、広大な敷地に点在する離れならば人の目に触れることはない。 客のプライバシーを徹底して守れる、貴重な店。
もちろん、それに見合った金額なのだが、俺、身を粉にして稼いでるもの。
金って使う為にあるんだ。サチとの時間。投資するにはじゅうぶんすぎる程、価値がある。あの店なら岡部のお供がなくても、サチと二人で食事が出来る。あぁ、なんだかワクワクしてきた。
部屋に到着し、時計を見ると夜中の一時だった。さすがにサチに電話をかけるのは躊躇する。とりあえず、メールを送り、彼女がまだ起きているか様子を伺おう。声が聞きたい欲望を押し殺しながらメールを打つ。直ぐに返事が来ればまだ起きているって事だ。そうしたら、電話をかけてみよう
。
『サッちゃん、こんばんは。今日早速N局の北原さんに会っちゃったよ。今度、カナの散歩がてらサッちゃんと駒沢公園でデートするんだなんて自慢された。駄目だよ。あんな怪しいおっさんと並んで歩いちゃ。明日は週末だけど、何してるのかな?』
一度読み直して、なんだよこれ……と思う。俺って文才ないな。もっとかっこいい台詞決められないのかね。あ、でも今日はいい写真があるんだ。
おさるのジョージ。TV局の廊下を歩いていたら、服を着たチンパンジーが人間みたいに歩いてきた。アニマルタレントってやつ。びっくりしたぜ。売れっ子の貫禄たっぶりで。調教師のお姉ちゃんに頼んだら、二人、いや、二匹並んだ写真を俺のスマホで撮ってくれた。サチへの今日の写真ゲット! にかりと笑ったジョージの笑顔は、この味気ないメールに華を添えてくれるだろう。
ピッ。メールの送信ボタンを押しながら北原プロデューサーの顔を思い浮かべる。随分サチを気に入っている様子だった。サチからみれば父親のような年だし、結婚もしている。壇社長の昔なじみだというし、下心などないなんてわかっている。
だけどさ……一体俺はどうしたいというのだ。サチに寄りつく男の全てを蹴散らしたいのかよ。あんなオッサンまで?
俺だけを見て。
この世にサチと俺、二人きりならいいのに。この腕に抱いて彼女をどこかに閉じ込めてしまいたい。自分にこんな感情があるなんて……。独占欲。嫉妬心。こんな感情を知りもしないで、一体今まで俺は何を演じてきたというのか。
ピピッ。あ、メールの返事がきた。高揚した気分でスマホをのぞき込む。
『可愛いっ。チンパンジーだよね? なんだかユウちゃんと並んでいると兄弟みたい。北原さんと会ったの? カナと駒沢公園行くの楽しみ。明日はナオと代官山でお昼を食べるの。週末だからきっと混んでいるだろうな。あのね、ユウちゃん。この前、あの女の子の事怒ったりしてごめんね』
スマホを握る手のひらが汗でじっとりと濡れる感触。……杏里の事だ。最後、北原さんに連れていかれたりしてバタバタしたから、すっかり忘れていた。そうだ、あの女、サチの前で地雷を踏みやがったんだ。
“ユウタの部屋の東京タワーが見たいなぁ”
もう、とっくに切れた女だ。サチに対してやましい事などない。
“あの女の子の事怒ったりしてごめんね”
どうして俺に謝ったりするの? きっと勘違いされた。あぁ、自業自得ってやつ。適当にあっちこっち、つまみ食いして、食い散らかしたまんま。昔話だけど、惚れた女だったのだと、胸を張ることも出来ない。こんな俺、きっと呆れられた。何か……何か言わなくちゃ。今は君だけだとか、信じて欲しいとか。
なんて陳腐な言葉だ。軽すぎて涙が出るぜ。電話で話す台詞を、練習しようとしたけれど、喉がからからで声が出ない。メールに文字を打ち込んでは、読み直し消去する。ちゃんと伝えなくちゃ。だけど、なんて言えばいいのだろう?
「あら、珍しい桂木さん。ちょっとお肌の調子悪くないですか?」
顔馴染みのヘアメイクが、俺の顔をまじまじとのぞき込んでくる。
「夕べ寝不足でしょ。ほら、目の下くすんでいますよ」
鏡に映る自分をまじまじと眺める。ひと晩で人ってここまでやつれる事が出来るって事を、自ら証明してやがる。ひでぇ顔……。
「マジックハンド佐藤の手に掛かれば、やつれた顔も薔薇色ですよ、抱かれたい男ナンバーワンの王冠にふさわしく仕上げるんで、まっかせてください」
熱い蒸しタオルを被せられる。熱っちぃ。熱っちぃよ佐藤ちゃん。天井を向いて寝そべっていると、不覚にも涙が溢れそうになった。タオルがのっかっていて助かったぜ。
頭の中はサチでいっぱいだ。ほんの数日前、手を伸ばせば彼女がいたのに。俺の髪を優しく梳いて、隣に眠ってくれたのに。どうしていいのかわからず、ただ馬鹿みたいに途方に暮れていた。電話をかける事も、メールを送ることも出来ず、あのソファーベッドで夜が明けるまで過ごしたのだ。
「あれぇ、ユウタ。今日はなんだかシリアスな雰囲気だねぇ」
バシャバシャと派手なシャッター音が、フラッシュと共に響き渡る。
「視線、こっちに流してみて。あ、少し下の方」
カメラマンは顔を上げると、しばらく指で型どった四角い枠を向けてくる。その穴から、片目で俺を覗き込み、なにやら構図を練り始めた。
「ユウタさぁ……」
やばい。仕事に集中しなきゃ。眠たいわけじゃない。ただ、気を緩めると頭が真っ白になっちまう。
「なんかこう、色気あるね今日。寂しげな雰囲気がぞくりとくるよ」
へ? ぞくり? アンタ風邪引いてんじゃないの。
「遠い眼差しがさ、なんだか恋患いしているみたいで……これ、抱かれたい男特集の表紙でしょ、売り上げ伸びるね〜。あ、カラーやめよう。セピアがいい」
……恋患い。随分古くさい文句だな。このままでいいなら楽なもんだ。笑顔頂戴なんて言われたら、厳しいよ今は。
昨夜のメールに、今日は友達と代官山にいるって書いてあったよな。恵比須からなら駒沢通りで真っすぐだ。車で10分の距離……。
「ユウタ、なんかあったのか」
撮影の合間、背後から岡部の低い声が響く。ただでさえ、ごまかしのきかない野郎だ。何やっていやがると言わんばかりの鋭い眼光。
「何だよ。カメラマンの橋本っちゃん、この気だるいキャラでオッケーだってよ」
「今回は、たまたまマッチしただけだ。昨日、あれからすぐに寝なかったのか? 撮影の前日は自己管理ちゃんとやれなんて、新人にも言わない台詞だけどな」
「……眠れなくてよ」
「えっ」っと、怪訝な表情を奴は浮かべた。
「ユウタさん、セットの準備出来ました!」
スタッフが呼びに来る。今、行くからと相づちを打ち、岡部の隣をすり抜ける。
「……おいっ」
どうしたんだよ? そんなニュアンスを含んだ声色で呼び止められる。足を止め振り向くと、奴と視線が絡んだ。
「この後の取材って何時から?」
俺の問いかけに奴は一瞬戸惑いを見せた。意外な質問だったらしい。
「昼飯のあと、向かいのウェスティンホテルでニ時半からの予定だが、取材用の部屋を押さえてある。その後、ラウ監督の映画の件で打ち合わせが入った」
「あ、そう」
そっけなく言い放つと、俺は歩き始めた。自分の冷え冷えとした声色が、他人のもののように感じていた。
ふっと息が吹き込まれる感覚。ニ時半か……早いとこ、撮影切り上げなくちゃな。
「お客さん、代官山のどの辺に行きますか?」
タクシーの運ちゃんの問いかけに、直ぐに答える事が出来なかった。代官山。狭い街だ。とりあえず旧山手通りと交差する所で降ろしてもらう。支払いをするのに、ジーパンのポケットに手をやり、俺は舌打をした。慌ててサイフしか持ってこなかった。そうだスマホをホテルの部屋に忘れていやがる。
とりあえず車を降りて、駅の方に向かって歩いてみる。歩道は、カラフルなショップのビニール袋をぶら下げた若者達で溢れている。あちこちでセールでもやっているのだろうか。
あ、やばい。あまりの歩調ののろさに耐えられなくて、斜め前の女の子を二人、追い越した時だった。背後から 「え? うっそぉ〜」と遠慮のない黄色い声が響いたのだ。
「ユウタだよっ。え、なに、何かの撮影っ?」
ざわざわと周囲の視線が全身に絡み付く。サングラスひとつ、無謀といえばそれはあたりまえの結果だった。岡部ちゃん、今ごろ頭から湯気だしてんだろうな。ホテルに着くなりドロンしちゃった訳だから。あぁ、でもこの状況を見たら湯気どころじゃないかもな……わっと、人の輪に取り囲まれる。
「握手してくださ〜い」
差し出される女達の手。色とりどりのマニキュア。花が咲いているみたいだ。その中から、見覚えのある控えめな桜色の指先に手を伸ばす。
「きゃぁ〜っ」
握手を交わした女の子は、歓喜の声を上げながら涙ぐんでいる。……サチじゃない。当たり前の事実に胸がえぐられる。
この握手をきっかけに、まだ遠慮がちだった皆の態度が一変した。我先にと、押し寄せて揉みくちゃになる。少しづつでも進んでいた歩調がそこで止まってしまった。パニック状態だ。
「ちょっとぉ、痛いんだよ。割り込むのやめてよっ」
「はぁ? 一列に並べっての?」
すぐ脇で怒鳴り合いの喧嘩が始まる始末。俺はその子達に視線を流すと、静かにしてねと人指し指を立てる仕草をしてみせた。我に返ったように二人は、頬を染めて、黙り込んでしまった。後から後から、押し寄せる人の波。いつも壁のようにガードしてくれるスタッフがいた。こんな、おしくらまんじゅうみたいの初めてだぜ。
痛てっ。髪引っぱんのは勘弁してよ。暴力反対。誰もが立ち止まり、何事かとこちらを注目している。寝不足でハイなのか、あまりの目茶苦茶ぶりに笑いが込み上げてくる。そうだ。もっと騒ぎになればいい。これなら、サチも気付いてくれるかもしれない。ぼんやりと、取り囲む女達の顔を見回す。
どん底の馬鹿野郎だな俺は……もし、彼女がこの場に現れたら、いけにえの子羊を、狼の群れに投げ込むようなもんだ。俺、何やってんだろう。前にも後ろにも進めず、時間だけが刻々と過ぎていった。やばい。こんなところにいつまでも居るわけにはいかない。腕時計は二時半を回るところだった。取材の始まる時間。岡部ちゃん、当分口もきいてくれないだろな。
「ユウタ! 車に乗れっ!!!」
反射的に振り向くと反対の歩道に馴染みの男の姿があった。
え、なんで? このタイミング……アンタまるでハリウッド映画のヒーローみたいじゃん。救世主に向かって、すばやく走り出す。するすると人をすり抜け、2車線の車道を横切り、深緑のジャガーの後部座席に滑り込む。ほぼ同時に岡部と車のドアを響かせた。
バンッ
「お姫様まで、あと一歩及ばずだったな」
え? 奴の視線を辿ると、目の前の歩道に面したオープンカフェのテーブルで、目を丸くして立ち尽くすサチがいた。
「申し訳ないがタイムオーバーだ」
岡部はそう言うと、俺のスマホをぽんと投げてよこした。そして、蹴散らすようなクラクションを鳴らしてアクセルを踏んだ。
サチの前を通りすぎる。あぁ、やっぱり来てよかった。小さくなっていくサチを横目に、スマホのボタンを押す。一回のコールで彼女は電話に出た。
「探してたのにさ、こんな近くにいるのに気づかなかったよ。……驚かしてごめんね」
サチが息を殺しているのを感じる。そりゃそうだ。あんな騒ぎを目のあたりにしたら驚くよな。夕べは乾ききった喉に言葉が出なかった。だが、今はただ想いのままを口にしてみる。
「サッちゃんに会いたくてさぁ……」
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