ウィンッ。ビデオの電源をいれる。がさがさと、袋の中からレンタル店のシールが貼られたDVDをニ本取り出した。
『愛の果て』
『夢二の女達』
ユウちゃんの出演映画を、店内に並ぶ膨大な邦画コーナーからどうやって探そうか途方にくれていた。棚をひと通り見て回ったところでふと、目にした。人気俳優コーナー。あたしでも知っている大御所達が名前を連ねている。あいうえお順に辿っていくと、桂木ユウタの名前があった。手にとってどれにしようか悩みに悩み、最近公開された二本を選んで持ち帰ったのだ。
『夢二の女達』は明治生まれの画家、竹久夢二が題材の映画だった。この人の描く美人画は『夢二式美人』と呼ばれ大正浪漫の代表画風のひとつだ。生粋のプレイボーイでも名高い。デザインの専門学校時代に、授業で夢二を題材にしたことがあった。最初にこれから観てみよう。
あたしはもう一つの買い物袋から、フライパン形の容器に入っているポップコーンを取り出した。コンロであぶるとパンパン弾けるヤツだ。出来たての熱々。ヒデオを観る時には必ずこれを頬張りながらと決めている。あ、あとキンキンに冷やしたビールジョッキ。この中にたっぷりと氷を詰め込み、コカコーラを注ぐのだ。
部屋の明かりを落とす。うん、準備オッケー。ピッ、意気揚揚と再生ボタンを押す。
あ、ユウちゃんだ。ふぅん……竹久夢二がユウちゃんなんて不思議な感覚。和服姿なんて想像もつかなかった。共演している女優達も皆、夢二式美人と呼ばれたモデル役にふさわしく、清楚で美しい。
大きく潤んだ瞳。長い睫毛。抜けるような白い肌。大正浪漫調の衣装も目を引いた。
赤紫色の地に大柄なたんぽぽ模様。赤い薔薇の帯。藍色の着物の奥に覗く、半襟の鮮やかな梅。大きめに胸をはだけた独特の着こなし。燐と美しい夢二の恋人達は、育ちの良い艶やかな微笑を絵筆を持つユウちゃんに投げかける。
そして、その微笑を受ける彼は、そんな彼女達に負けないほどの色香をかもし出していた。
脳裏に焼きつくような強烈な色彩の渦の中で、埋もれることなく更に光を放つユウちゃんの存在感。あぁ、彼は本物なんだなって漠然と思った。日本の役者も捨てたもんじゃない。
携帯の着信音が響く。ユウちゃんからだった。午後十時過ぎ、彼にしては珍しく早い時間。昼間、代官山での出来事が頭をよぎり少し緊張した気分で電話に出た。
『あ、サッちゃんこんばんは』
いつものユウちゃんの声。なのに、どきんと胸が跳ね上がる。
『昼間はさ、お騒がせしました』
ちょっとバツが悪そうに彼はそう言った。
「あ、うぅん……」
歯切れの悪い返事。馬鹿馬鹿あたし。もっとこう、気の利いたジョークとか返せないものだろうか。
『あ、今忙しかった? 何してたの』
何って……だけど、話題を振られてほっとした。何を話したらいいのか思いつかずに困っていたのだ。
「あのね、ユウちゃんの映画をレンタルして観てたの」
『え……俺の? どの映画?』
「竹久夢二のやつ」
『あぁ、あれはサッちゃんの好みかも』
「うん。すごく良かった。ユウちゃんが夢二なんて意外だったけど、素敵だった……」
『サッちゃんに言われると、お世辞でも嬉しいよ』
「お世辞なんかじゃないよ。他のも観るの楽しみだもん」
『えっ、他のもって、夢二以外も借りてきたの?』
そうだよ。と、あたしはもう一本のタイトルを告げた。
『駄目っ。サッちゃん“愛の果て”は観ちゃ駄目だよ』
突然取り乱した彼を不審に思う。
「どうして駄目なの?」
沈黙……ユウちゃんの困り果てた雰囲気が伝わってくる。
『それってさ、R15指定なんだよね』
R15……?
「いやだぁ、ユウちゃん。あたし23よ。R15って中学生はご遠慮下さいって意味でしょう?」
『最近のR15ってすごいんだよ。いや、俺のファンもそれなりに年齢層上がってきてるから問題ないかって…事で』
「すごいって何が? 血とかがドハ〜って感じ?」
『いや、そうじゃなくてさ……あの……』
性描写がさ……消えそうな声でぽつりとユウちゃんは言った。
セイビョウシャ?
「夢二にもあったよ、ラブシーン。えっとね、全然嫌らしくなくてすごく綺麗だった」
『うん。まぁ、恋愛映画だからさ。でもそっちのは規制がかかるほどの内容なんだ。俺、それ観られたら恥ずかしくてもうサッちゃんに顔見せられない』
泣きそうな声だった。可哀想になっちゃって、あたしは思わず約束してしまった。観ない。“愛の果て”は観ないから。
『本当? ごめんねせっかく借りてくれたのに。レンタルなんてしなくても、言ってくれればあげるのに。でもさ……どうしたの? 急に。俺の出てる映画なんて』
どうしてって……。
「今日の女の子達見て思ったの。あたしユウちゃんの事何にも知らないんだなぁって」
『えっ……』
「ユウちゃんの事、もっと色々知りたいと思ったの」
『……』
あれ? 電波の調子悪いかな? 何にも聞こえないや。ふっふ〜っっ! 息を吹きかけてみる。アンテナいっぱい立っているんだけどな。
「もしもし?」
話しかけてみる。
『あ……ごめん。うん、ちゃんと聞こえてる。ただ、もう俺さ……』
コホンと小さな咳払いをしてユウちゃんは言葉を繋げた。消えそうに震えた声だった。
『……なんか、嬉しくって』
溜息のようなユウちゃんの言葉が、あたしの鼓膜をくすぐる。携帯に押し当てている耳がカッと熱くなる感覚。何だか慣れなくて、気を紛らわすかのように、あたしは話し始めた。
「それでね、ホント今更なんだけど、ユウちゃんの本も最初からちゃんとじっくり読んでみようかなって…」
『本? あ、いいのアレほとんどフェイクだから』
「フェイク?」
『本当は俺が書いたんじゃないんだ。ゴーストライターがファンが喜びそうに色づけした、桂木ユウタの半生を作っただけなんだ』
「そう……なの?」
『サッちゃんにはさ、これからの俺だけ見て欲しいんだよね』
うん……小さくそう相槌を打つ。
『でも、ひっでぇサッちゃん。俺の本読んでなかったんだね。表紙自分で描いたのに、そんなに中身に興味なかった?』
サ〜っと血の気が引く。
『いやっ……間に挟んである写真は見たのっ。あれ、半分は写真だったじゃない?文字は……ごめんね。飛ばし読みしちゃった』
ぷっ。受話器の向こうでユウちゃんが堪え切れずに吹き出す音がする。
『まぁ、サッちゃんらしいよね。それを馬鹿正直に言っちゃうトコ。でもさ、今更でも俺の本読みたいだなんて思ってくれて嬉しいよ』
馬鹿正直……そうだ、わざわざ本をちゃんと読んでいない事なんて暴露する必要もないのに、あたしって。
『そうだ話は変わるんだけど、今日仕事の帰りに岡部が変な事言うんだよ』
「変な事?」
『てっきり今日の事怒りまくってて、ドヤされると思ってたんだけどさ』
「……怒ってなかったの?」
少しユウちゃんは次の言葉まで間を置いた。そして、怪訝そうな声色で言った。
『一週間くらい、休暇をやろうかって。条件付きで……』
ウィンッ。ユウちゃんとの電話のあと、再びビデオの電源を入れる。
がさがさ。袋から取り出したビデオテープの背表紙には『愛の果て』とタイトルシールが貼り付けられている。
だって。
だって。
見ては駄目だと言われれば覗きたくなるのが人のサガと言うものだ。R15なんてさ、もぉ、大袈裟なんだから。
……それにしても、さっきの電話でユウちゃんが言っていた、ヒロの話は意外だった。一週間の休暇かぁ。ユウちゃんにしてみれば大センセーショナルだ。岡部の復讐かもしれないから、あんまり期待しないんだと、ユウちゃんは言っていた。どうせ、一週間の休暇という名の労働だよと。
復讐って、仕事を抜け出したお仕置きって意味かな? ヒロは、ユウちゃんにそんな事しないと思う。厳しくて威圧的なトコはあるけど、復讐なんてねぇ……。条件付の休暇。気になる内容はまだ提示されていないらしい。
ボンヤリしていると、映画が始まった。さっきの夢二とは全然違うユウちゃんが映し出される。ユウちゃんの役どころはお金にしか興味のない売れっ子ホスト。相手役は意外にも年上の小学校教師。ホスト通いの資金源は交通事故死した夫の保険金だ。逢い引きの途中に巻き込まれた事故で、夫と愛人はまるで心中のように仲良くあの世に飛び立っていった。彼女はこの金を全て男遊びに使い果たそうと決意する。
復讐という名目を背負った甘美な夜。ユウちゃんの背中に細い指が絡み付く。最初の地味な印象は消え失せ、奔放に男をベッドに誘う女。押し倒したユウちゃんの服を一枚一枚はぎ取りながら、あらわになった素肌に唇を押しつけていく。
上から覗き込む女の長い髪が、ユウちゃんの肌を優しく滑る。その髪は、時として鼻先が触れる距離で見つめ合う、二人を覆うシルクのカーテンにもなる。
さらさら。この女の人、なんて綺麗な髪なんだろう。落とされた灯りに、ぼんやりと照らし出されるユウちゃんの肌。その右肩のホクロが映し出された時、ドキリと胸が跳ね上がった。
知っている。このホクロを……身体を拭いてあげたときに何故だか印象に残ったのだ。
そのホクロの存在が、あの時触れた身体なのだと主張しているようで妙に艶めかしい。当たり前だけど、男の人なんだと今更に思った。
R15指定。まだまだ生ぬるいよ、これくらいじゃ。大袈裟なんだからぁ。そう頭で繰り返しながら、せわしなくポップコーンをしゃりしゃりと噛み砕く。
ビヤガーデンにたむろするオジチャンのように、ごくごくと喉を鳴らしてコーラを流し込んだ。
ぷはっとお行儀悪く手の甲で口元を拭うと、思わず独り言を呟いてしまった。
「……やばい」
あたしより大人だし、一般的にも当たり前かもしれないけれど、ユウちゃん、こういう事、場慣れしてるって感じ。あたし、最後いつしたっけ? え〜っと。二年以上御無沙汰している……かも。
昔の彼に、お前が相手だと、調子狂うよって言われた事を思い出す。あたしあの時、正直言って悪気はなかった。ただ、ほら男の人って毛深いじゃない。くすぐったくて、あの最中に笑っちゃったんだよね。
トラウマになったよって彼は苦笑いしていた。実際、その後ぎくしゃくして、いつの間にかあの彼とは自然消滅という結末を迎えた。
やばい。あれ以来の御無沙汰。しかも、いわくつきのくすぐり体質。あたしユウちゃんと、セックスする事なんてあるのかしら?
「サチはパスポート持ってる?」
馴染んだ深緑色の車の助手席に座っていると、突然何の脈絡もなくそう問いかけられた。ヒロのその質問は“海外行ったことあるの?”と変換されて耳に届く。失礼な、見くびってもらっちゃ困る。
「持ってますよ。ハタチの時にイギリスに行きました」
「期限残ってる?」
は? どういう意味かしら? 期限なんてあったっけ。
「……」
黙り込むあたしにヒロは質問を続けた。
「ハタチのその旅行の時にパスポート新しく発行したの?」
「うん」
じゃあ、大丈夫だな……と、彼は独りのように小さく呟いた。
なぁに? なにがダイジョウブなの?
「来月の1週目とか、サチ、仕事忙しい?」
それって、さ来週って事だよね。頭の中でパラパラとスケジュールを思い浮かべる。
「う〜ん、その週のど真ん中に締め切りがありますねぇ」
「その仕事って締め切り前に終わらせられないかな?」
「う〜ん」
どうだろう。やれないこと、ないけれど。
「俺、手伝うから」
「は?」
「仕事、消しゴムかけでも何でも手伝うからその一週間、ユウタに付き合ってやって欲しい」
「へっ? 一週間、ですか?」
「無理強いは出来ないが……」
話が唐突すぎて、返事に詰まる。あたしの仕事をヒロが手伝って、それで一週間ユウちゃんに付き合うって?
「ゆっくりと、またあとでユウタも一緒の時に説明するから。その話もあって、いつもながら急遽お誘いしたんだ。ま、あんまりサチに会えないと、アイツが脱走を企てるっていうのもあるんだけど」
“岡部がさ、一週間休暇をやろうかって……”
先日、電話をした時に耳にしたユウちゃんの台詞が頭に浮かぶ。
「あっ、あ〜!」
キィッ〜! いつもは滑るように停車するのに、赤信号を前にジャガーは雄叫びをあげて止まった。
「おまっえっ、びっくりすんだろ。その声、心臓にくるんだよ」
「……ごめんなさい」
名前で呼び合うようになって、不思議とお互い口調も慣れ親しんだものになっていた。だけど、怒られたのは初めてだ。
……しゅん。反省して小さくなる。
「おい」
ヒロが進行方向を見ながら呼びかけてくる。
「……」
また、怒られるのかとびくびくと横顔を盗み見る。
「肉食動物に怯える羊みたいな目で見るのはやめなさい」
あらたまった丁重な言葉遣いとは裏腹に、口元が笑いを噛み殺している。
「さっきの奇声の根源は?」
あたしはおずおずと質問に答えた。
「もしかして、ユウちゃんの休暇の条件って海外って事?」
「……ふぅん、サチって意外と……」
キキッ、アスファルトを擦るタイヤの音を響かせ、通りから見覚えのある重厚なマンションに入っていく。IDカードと更に指紋照合をするために、車は一時停止をした。ピッと短い電子音の後、シックな紋様の鉄格子が自動に開く。地下の駐車場に向かい、車は緩やかに弧を描きながらスロープを降りていった。あたしは黙ってヒロの話の続きを待った。その雰囲気が伝わるのか、彼は口の端だけで薄く笑ったままだ。
ぶぅん。停車した後、一度だけ低いエンジン音を響かせると、息を殺したような静寂に包まれる。
「そうだ、条件は海外。しかも究極の……」
ぴんぽ〜ん!!
クイズの正解者に贈られる効果音が頭の端で響いた気がした。
「サチさ……」
ヒロの指が伸びてきて、あたしの頬をなぞった。
ひやり。ユウちゃんの温かい手とは違う指先の温度。
ヒロは、顔にかかっていた髪の後れ毛を、そっと払ってくれた。頬の産毛をなぞられてこそばゆい……なんて感じながら、頭の中は新しい謎々が走り回っていた。
究極の海外ってなあに?
ヒロがやっと、さっき言いかけていた台詞の続きを口にした。
「サチってさ、ぼんやりしているようで意外とあなどれないのな」
その台詞は何故かこう変換されてあたしの耳に届いた。
“あんたって意外と馬鹿じゃないんだね”
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