ドーニミギリ、二人だけの隠れ家(ユウタ)20話

投稿日:2018-09-16 更新日:

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全然違う。プライベートで海外にいく感覚ってこういうものなのかな。スーツケースの中身を何度覗き込んだことか。まるで遠足のおやつ300円の中身を並べる小学生だ。

随分遠回りをしての現地入りだが、全然苦ではなかった。お互い、出発前に片付ける仕事に追われ、ここ最近、メールすら御無沙汰だった。バカンスが待っていると思えば、むしろ盛り上げるためのおあずけも悪くないかな、なんて。

写真には気をつけろと岡部は釘を刺した。パパラッチもここまでは追いかけてこないだろうに、心配性だよな。

入国審査を終え、リゾートに向かう小さな水上飛行機に乗り換える。乗客は俺の他に、三十代くらいのヨーロピアンカップルだけだ。

あれ、サチはどこ? 午前中には出発するこの飛行機の中で、待ち合わせのはずだ。彼女は空港から歩ける距離のホテルに夕べから一泊している。

チュッ。

さっきから、前の席でカップルが熱い抱擁を交わしている。ったく。見せつけてくれるよな。だけど、あんな風にサチと、なんて想像するだけで走り出したいくらいに体が火照る。早く会いたい。

カツンカツン。

タラップを上る音がする。外の日差しを背にした人影が入り口に浮かび上がる。

「ユウちゃん」

肩紐で吊ったワンピース。涼しげな装いのサチが立っていた。

……やばい、大丈夫かよ俺。泣き出しそうだなんてどうかしている。こんな日本から遙か離れた南国で、サチと本当に会えるなんてさ、感動っていうの? 胸が詰まっちまった。俺の動揺など気付くはずもなく、サチはちょこんと隣の席に座った。

「飛行機、お疲れ様。遠回りで大変だったでしょ」

屈託のない笑顔。言葉が出なくて、ぶんぶんと首を振って否定する。

チュッ。

相変わらず前の席のカップルのイチャイチャぶりは続いていて、サチがちらりと視線を向けるのがわかる。めちゃくちゃ、こっ恥ずかしい。あんた達、変な刺激を与えるのは止めてくれよ。まだキス止まりの初々しい日本人だっているんだよ。お国柄の違いとはいえ、もう少し恥じらいってもんがないのかね。

ブウンッ、ブウンッ……。

飛行機がエンジンをかける振動が伝わってくる。

どんな一週間が始まるんだろう、ふわりと機体が浮く感覚。そっとサチの指に手を伸ばす。墜落したって離すものかと、絡んだ指先に力を込めた。島へはわずか三十分程で到着した。海上に着陸した飛行機から、小さな船で島から伸びる桟橋へと運ばれる。

なんだよ、これ。プールじゃないよな。海……これが?

ささやかに揺れる穏やかな海面は、巧妙にカッティングされた蒼いクリスタルのようだ。桟橋に上がり、島に向かって歩き出す。半分くらいきた所で、再び海をサチと覗き込んでみる。二人揃って目の前の情景に言葉すら失っていた。

太陽の光が溶け込んだ浅瀬は、海底の砂が刻んだ紋様までも透かしている。艶やかな鱗をまとう熱帯魚を引き立たせる白い砂地は、陸にまで広がっていた。まるで海に敷き詰められた純白のビロード。触れたら粉雪のように、溶けてしまうのではと思わずにいられない。

船の形をしたカウンターテーブルのあるバーに案内され、島についての説明を受ける。モルディブなまりの英語ってやつは意外にも聞き取りやすい。流れるような、というのとは程遠い、単語と単語の繋ぎ合わせといった感じだ。

だが、話を聞く程に、このリゾート、ドーニミギリの独自性に驚かずにいられない。聞いた事もないぜ、映画みたいな話だな。

隣のサチは真剣に聞いているフリをしている。フリってとこが笑える。この内容を耳にして、あのサチが顔色一つ変えないわけがない。たぶん、英語だから話の内容を理解できてないんだろうな。英語は岡部からの指示で、ずっと昔から個人レッスンを受けていた。日常会話レベルならクリアしている。

サッちゃん……俺がついているから大丈夫だよ。そう思える状況が嬉しい。こんな小さな島で迷子になんてなりようもないけれど、言葉が通じず途方に暮れる事がないように、俺がいつも側にいてあげる。君の耳や口になる喜びを、その度に俺は噛みしめる事だろう。

タクルと呼ばれる世話役を紹介される。アダムという名の、髭をたくわえた気立ての良さそうな男。彼に案内され、生い茂る緑の合間をぬうような小道を通り抜ける。行く先にはコテージがあった。ポツンと建てられた小さな隠れ家といった雰囲気。

一週間、ここでサチと過ごすのだと思うと、足が浮き立つ。部屋の中はこじんまりとしていて、シックなインテリアでまとめられていた。外のデッキには白いパラソルのついたテーブルとチェア。バスルームの扉を開け中を覗いていると、サチが俺のシャツの裾を引っ張った。彼女に連れられて小さな裏庭に出ると、そこにはシャワーブースがあった。

「お日様を浴びながら、裸で使うシャワーなんて気持ちいいんだろうねぇ」

楽しそうにサチはそんな爆弾を俺に投下してくれた。サッちゃん、今何て言ったの? そんな明るくさっぱりと言われちゃうとさ……敏感に反応して、いけない想像をしている自分が罪人のような気がする。

世話役のアダムがもうひとつの場所に案内するからと耳打ちをしてきた。

「何処に行くの?」

不思議そうな面持ちでサチがそう俺に問い掛けてくる。

「もうひとつお楽しみがあるんだってさ」

そう答えながら俺はもったいぶるように、内緒だよという仕草をしてみせる。

コテージはプライベート感を守るためか、ビーチから直接覗けないように、ふんわりと木々のカーテンで覆い隠されていた。だが、ほんの数歩歩いて緑のカーテンを抜ければ、どこまでも広がる蒼い海。空へ溶け込むブルーのグラデーションは、出来すぎた絵葉書のようだ。そこにぽっかりと浮かぶ、真っ白い帆をなびかせた小さな木製の船を、アダムが指差してみせた。あれが、さっきバーで説明されたマイドーニってやつか。

彼女と少し話をしてから行くとアダムに告げると、彼はにこやかに頷いて、船に向かって一人歩いて行った。

「サッちゃん、あの木陰でひと息つこうか」

不思議そうな面持ちでアダムの後ろ姿を見送っていたサチが、ぼんやりとした眼差しをこちらに流してくる。その手を引いて、ゆっくりと歩き始める。素顔のままで、誰の目も気にすることなく、当たり前に手を繋いで寄り添える幸福感。もしかしたら、夢なのかもしれない。一瞬、そんな不安が頭をよぎる。

そっとサチが俺の手を握り返してくる感触が伝わってきた。その温もりが俺を救ってくれる。これは覚める事などない、現実だと。
椰子の葉を重ねた木陰。そこに腰を下ろすと、ヒンヤリとした砂の温度を布越しに感じる。

「さっきのバーで聞いた、島の説明なんだけど……」

「ごっ、ごめんなさい。あたし、英語なんて中学生以下レベルで。ユウちゃんがちゃんと受け答えしてくれて、安心した」

あたふたと、恥ずかしそうにサチは早口で言った。

「いいよ、そんなの気にしないで。ここには日本語はほんの片言の挨拶程度しか話せるスタッフがいないんだって。でもさ俺には願ったりなんだよね。この島にいる間は、俺だけのサッちゃんなんだから。他の奴と話しなんかしてたら嫉妬しちゃうしさ」

「……うん」

俺から視線をそらして、海を眺めながらサチは照れ笑いをしている。いつもと同じ、ムーミンに出てくるミーの髪型。襟足のおくれ毛が、太陽に透けて輝いていた。

「あのね、岡部も言ってたけどさ、この島、ドーニミギリには6組のゲストしか滞在しないんだって。島は1周5分ほどしかなくって、しかも16歳以下は立入禁止の大人の為のリゾートなんだ。それでね、ここはモルディブの中でも特に変わったシステムをとっているらしい。まず、部屋に鍵はない」

「えっ、鍵がないのっ?」

サチの声のトーンがかなり上がっている。この素直な反応が子供のようで微笑ましい。だけどサッちゃん、驚くのはまだ早いと思うよ。こんなのまだ序の口なんだから。

さっき、自分も初めて耳にしたくせに、島の内容を熟知したようにサチに説明する。

「限られたゲストしかいないし、鍵は必要ないんだって。貴重品はホテルに預けたし、何かを注文したりしても現金を支払う必要がないんだ。アダムはここにいる間、世話をしてくれる俺達だけの専属の執事役なんだって。好きな時に好きな物を好きな場所で24時間、全てリクエストに答えてくれるらしい。例えば今から無人島に行ってランチを食べたいとかさ……」

「えっ、信じられない、本当に?」

「うん」

サチの驚く様子を楽しみながら、俺は話を続けた。

「それにね、もっとすごい事があるんだ」

ごくりと、サチの喉が鳴ったのは気のせいだろうか。

「ほら、あの船」

少しだけ大袈裟に。目の前の海に浮かぶ船を指差してみせる。

「ドーニって呼ばれる、モルディブの伝統的な船なんだって。ここにいる間、ゲストは皆1艘づつ自由に使えるマイドーニ、自分だけのドーニを貰えるんだ。そして専属の3人のボートクルーが、希望通りに動かしてくれる」

きょとん。サチが目を丸くしている。よく意味がわからない、そんな眼差しを投げてくる。

「あの船の中には、ベッドや小さなキッチンやリビングスペースまでついているんだ。もちろん食事はスタッフが作ってくれる。例えば、ナイトクルージングに出かけて、そのまま船に泊まる事も出来る。望みのままに動き回れる、海に浮かぶもうひとつの隠れ家ってやつ」

サチが瞳がぴかぴかと輝き出した。

ぴかぴかぴかぴか。

南国の陽射しを反射して、いつも以上に輝いている。

「すごぉいっ。ユウちゃんすごすぎるよっ」

ばさっ。おもむろにサチは立ち上がった。

「何だか、めちゃくちゃ興奮してきちゃった。走り出したい気分っ」

大きくサチが空にっ向かって伸びをするように腕を広げる。サンダルをポイポイっと脱ぎ捨てると、本当にサチは走り出した。海に向かって。波打ち際というにはあまりにも穏やかな海岸線を、ばちゃばちゃと水飛沫を跳ね上げながら走り回る。ついには、ワンピースのまま、転んだついでにごろりと水辺に寝そべってしまった。あまりのテンションの急上昇ぶりに、俺はただ唖然としてしまった。

ちょっと、置いてきぼりを食った気分。ピクリとも動かないサチに恐る恐る近づく。寝転んだサチは、俺の踝くらいの水深の海をベッドに、大の字になって空を仰いでいた。

全身ずぶ濡れ。

服っていっても、薄手のキャミソールワンピース一枚。身体のラインに沿って服が張り付いている姿が……。だけど、そんな邪心はサチの、子供のような屈託のない笑顔に弾き飛ばされた。

「ねぇ、ユウちゃん。何だか、夢みたいなところだねぇ。どんなバカンスになるのかワクワクしちゃうね」

サチの隣に俺も寝転んでみる。シャツとズボンに水が染み込んでいく感触。最初は違和感を感じたが、体の力を抜いて空を見上げていると何だか地球に身体が溶け込んでいくような、不思議な感覚に襲われた。

何ていう開放感。

こんな浅瀬だというのに、俺とサチの隙間をぬうように小さな魚が擦り抜けていく。

「あのシャワーを浴びる口実が出来ちゃったね」

冗談のような口調で、サチにそう話し掛けられる。

「……」

馬鹿、俺、なに黙り込んでんだよ。咄嗟に気の効いた台詞が出てこなくて、慌てている自分が歯がゆい。

「水着に着替えて、船……ドーニを見に行こうよ」

サチがそう言いながら俺に手を差し伸ばしてくる。滴るほどに濡れたワンピースの裾から、ポタポタと水滴が落ちている。俺は苦笑いしながらサチの手を取って立ち上がった。

とりあえず、俺はバスルームのシャワーを使うかな。

たった今、始まったばかりのバカンスだというのに刺激が多すぎて体が持ちそうにないぜ。二人並んだ足跡を砂浜に刻みながら、俺達の小さなコテージに向かって歩きはじめた。

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