赤い口紅、落ちない烙印を彼女に(ユウタ)8話1/2

投稿日:2018-07-07 更新日:

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そりゃあ、今まで色々な経験をしてきたさ。普通のサラリーマンやっていたら、想像もつかないような事をさ。だから、度胸はほどほど据わっているつもりだった。……だけど。

「一緒に付き合いますから大丈夫ですよぉ」

サチはそう言うが、これって犯罪じゃねぇの? 女子トイレに入るなんて……。
タクシーを降りて、人目にさらされ緊張したせいだろうか。まだ、なにも見ていないというのに最初に行きたい場所はトイレだった。だからって、この格好で男子トイレに入る訳にもいかず、サチに引きずられてあまり人気のなさそうな女子トイレを選んだ。

ディズニーランドなんて、どうして言ったのか自分でも不思議だ。ただ、普通の恋人の定番デートみたいな事をしてみたいと思った。

デート……女装した己の姿を考えてみれば、それは違うかなと思うけれど、こんな風に手を繋いで人込みを歩くなんて俺には新鮮だった。

こっちですよ。

ごく自然にサチは指を重ねてきた。少しひんやりした指先。

ねぇ、アンタにわかるかな?

俺、胸が詰まっちまった。ぎゅって、締めつけられるように喉の奥が痺れて、泣く寸前の嗚咽のような物を、慌てて飲み込んだんだ。触れられた途端に不安になった。離したくないなんて……。

ホント、どうしちゃったの? 俺。

サチに近づけば近づくほどに、知らなかった自分にもう戻れないなんて途方に暮れている。

「先に入っていいですからね」

サチが俺に順番を譲ってくれる。いや、今はそんなセンチメンタルな気持ちは脇に置いておこう。ディズニーランドの女子トイレ。この場で男だとバレたら、俺は芸能界どころか、世間から永久追放されちまうんだ。完璧に、こなさなくちゃ。

どこかでカチンコの音と、監督の『アクションッ』という掛け声が聞こえた気がする。

……まぁ、入っちまえば、何て事はない。男と違って全部個室で用を済ませる訳だし。ただ、皆、鏡にへばりついて、化粧直しに余念がないのが見慣れない光景だ。

じっと後ろで眺めている俺の視線に気づいたのか、女の子がひとり水場を譲ってくれた。横一直線に並んだ女達が、カチャカチャと化粧ポーチから何かを取り出しては鏡を覗き込み作業をしている。俺もやらなくちゃ不自然な気がして、不安になってきた。

バックから赤い口紅を取り出す。鏡を見つめ、唇にゆっくりと、すぐに落ちないよう念入りにのせていく。

あ、そういえば一度だけこんなシーンが……。

まだ岡部とグループを組んでいた頃、年始の特番で芸能人かくし芸大会に出演した。他の奴等は幕末の青年剣士なんて役どころだったのに、俺だけ吉原のおいらんなんてやらされたのだ。衣装が重くてさぁ、勘弁してくれよと思った。

小指ですくい上げた貝紅を、鏡の前で唇に塗るシーンで何度もNG出して、時代劇でン十年のベテラン女優から指導を受けたんだ。
アップはもう無理でしょ、ってもういい年したおばさんなのに、着物姿のたち振舞はぞくりとするほど女でさ、本当に感心した。

あ、あの感覚。俺は無意識に小指を使って、少しはみ出した赤い口紅をそっと整えてみた。ちらちらと視線を感じるのは気のせいだろうか? なんだか注目されている気がする。

「さ、次はホーンテッドマンションに行きましょうか?」

いつの間にか背後に忍び寄ったサチが、ハンカチで手をふきながら鏡越しに俺をのぞき込んでいる。……マンション? 外に出るとサチが笑いを噛み殺しながらながら小さく呟いた。

「桂木さん、色っぽ過ぎて注目の的ですよ」

またサチが俺に手を差し出してくる。あぁ、もうこれだけで胸がいっぱいだ。この異常な状況の中だというのに、ただ素直にその温もりに指を伸ばすだけ。

誰も俺を桂木ユウタだと、気付かない。ま、想像の範囲を越えた変装だとは思うけどさ。

ただ、勘違いをして流れてくる、野郎共の視線には苦笑いした。特にそれが外人だったりすると、遠慮のない誘うような眼差しを送ってきやがる。

これならイケる。

こんな格好でサチの隣を歩くのは不本意ではあるが、じわじわと開放感がわき上がってくる。

ん? ホーンテッドマンションってお化け屋敷の事かよ。入り口で案内をしてくれる、ゴスロリファッション調のメイド姿の女が印象的だ。余裕で入って行ったら、結構恐くてびびっちまった。サチは手の平、汗かいてますよなんて笑っている。

彼女は何回くらいここに来た事があるんだろうか。色んな事を知っていて驚いた。ポップコーンひとつにしても、キャラメル味のはあっちに売っているからと地図も見ないでずんずん歩いていく。なんとかパスってチケットを事前に取っておくとあとで並ばずに済むのだとか。

……俺、馬鹿だ。こんなにも楽しいのに、サチが俺の手を引いて笑いかけてくれるっていうのに、こんな事が気になるなんて。

誰と来たの?

普通に生きてきたら、高校生だってデートで来る場所だなんてわかってる。大人なんだ、過去なんて皆、持っているさ。

……そいつも、サチの指先の温度を感じていたのだろうか。彼女に愛された男達が、羨ましいなんて、本当に俺はどうかしている。

 

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