結構、一気にアトラクションを制覇した。ディズニーランドに到着したのが三時過ぎだったから、あっという間に日が暮れた。
「少し休憩しましょうか?」
サチの提案でカフェのテラス席に腰をおろした。暗闇に光るイルミネーションが、季節外れのクリスマスみたいだ。サチはミッキーの形をしたホットケーキにシロップをたっぷりかけて、嬉しそうに頬張っている。
もぉ、腹減ったの? そんな華奢な体のどこに詰め込める訳?
初夏の風がさらさらと吹き抜ける。暗くなったせいか、闇に紛れた自分の姿に更に安心感がわいてきた。ほっと寛ぐ感覚。
「あっあ〜っ!」
びっくりした。今の奇声は前にも聞いた事がある。何か思い出した時のサチの声だ。本にサインを頼んでもいいだろうかと、彼女は遠慮がちに聞いてきた。
俺のサイン?
意外だった。でもそれって彼女にとって俺が少しは価値のあるものだと言ってもらえた気がして、少しウキウキしながら本を開いた。
「あの、ナオちゃんへって名前も入れてもらっていいですか?」
……えっ? なんだ……そうか、友達に頼まれちゃったってやつか。冷水を浴びたようなって、こういう感覚なのだろうか。ジェットコースターのように高揚した気分が急降下していく。勝手に盛り上がったり、落ち込んだり、一人芝居しているみたいだ。
園内のイルミネーションが落とされると、サチが慌てた様子で俺を引きずって走り出した。あと、何時間こんな風に過ごせるのだろう。ぼんやりとそんな事を思った。
暗がりに連なる光のパレードが始まる。陽気なディズニーマーチと共に、鮮やかな電飾の山車が次々と横切っていく。
ブルー
ピンク
パープル
イエロー
移り変わる色彩が、サチの頬を染めている。
いい子にしているご褒美に一個。幼い頃、虫歯を気にする母親から滅多に甘いものを貰えなかった俺の楽しみ。缶カラから落ちてくる飴玉は、いろいろな色があって、わくわくしながら手のひらを見つめた。
ブルー
ピンク
パープル
イエロー
こういうのキャンディカラーっていうのかな? 嘘っぽい宝石みたいな、だけどなんだか甘ったるい……。その色彩を帯びた光に染まるサチは、あの頃欲しくてたまらなかった魅惑のご褒美のようだ。いい子にしてたら、彼女のお気に召す男を演じていたら、この手に堕ちてくるのだろうか?
「岡部さん、今日の桂木さんを見たら驚くでしょうね」
サチが無邪気な様子で、おかしそうにそう問いかけてくる声が聞こえる。
やめてくれよ。アンタの口から今、他の男の名前なんて聞きたくもない。
俺には興味もってくれないの? 心の中で呟いたつもりだったのに
なぁに? そんな仕草でサチが耳を寄せてくる。
甘い香り。さっきと同じ台詞を、ゆっくりと意識しながらサチの耳元に流し込む。
「サチさん、俺には興味……感じてくれない……の?」
彼女のきょとんとした顔。あ、駄目だ。もう、いい子になんてしていられそうにない。
一瞬、頭が真っ白になった。ただこの腕の中に……。ふわふわと風に乗る蝶々を捕まえるように、そっとその頬に指を添える。
触れるだけの口付け。離れ難くて、おでこを合わせたまま唇を離すと、さっきと同じきょとんとした仕草のまま、サチは俺を見つめている。サチの唇にはみだして、俺の赤い口紅が移されている。
ありえねぇ、そうだ俺は女の格好をしてるんだった。こんな状況で口説いているなんて……だけど、もう体裁なんて構っちゃいられない。開き直った気分で俺は言った。
「口紅のおすそ分け」
サチがクスクスと小さく笑う。くっつけたオデコがその振動を伝えてくる。
「久しぶりです」
「えっ?」
「キスしたの、久しぶり。最近御無沙汰でした」
まったく、まいっちまうよ、この人には……。普通、唇を奪われて、こういう返事を返す女ってそうそういないでしょう。
アンタって最高。
未知の領域に足を踏み入れる高揚感。とりあえずは誰にもさらわれないように、もうひとつ赤い口紅の烙印をその唇に刻もう。
そして、暢気な君にも理解できるような、シンプルな愛の言葉を考えなくっちゃな。
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