すごい。すごい。 東京タワーが見える。
ルーフバルコニーに突き出すように作られたリビングの一角は、サンルームっていうのかしら。とにかく壁も天井も大きな硝子張りだ。
「あ……でも、これじゃあ外から丸見えじゃないですか?」
「部屋の外に出なきゃ大丈夫。全部の硝子に特殊フィルムが貼ってあって、外からは見えないようになっているんだ。ほら、こうするともっと夜景が綺麗に見えるよ」
すうっと、部屋の明かりが落とされる。東京タワーの電飾が、いっそう温かみを増し、オレンジ色に輝いて見える。
桂木……いや、ユウちゃんの部屋は、岡部さん……いや、ヒロの部屋と作りはほとんど同じだ。ただ、大きく違うのはサンルームがある事と、見える夜景の方角。高台に建つマンションからは、四階にも関わらず都会のイルミネーションを眺めることが出来た。広がる夜景の真ん中には、クリスマスツリーのような東京タワー。
「いいですねぇ、この部屋」
「……気に入った?」
遠慮がちに彼はそう尋ねてくる。暗がりの中、遠目に浮かび上がる小さな光の渦。あ、この雰囲気……あの時と似てるな…と、思ったらもう唇は目の前にあった。
がさっ。
ん? あれ、この感触……子供のおねだりのように、もっと……と、唇を追いかけてくる彼の頬っぺを両手てビタッと挟み込む。驚いた顔。その唇に指を伸ばすと、やっぱり。
「熱で唇の皮、めくれちゃってましすよ、リップクリーム塗って眠らなきゃ駄目」
しかられた子犬のように、彼は途方に暮れた眼差しを落としてくる。
「いい子にしなきゃ、一緒に寝てあげない」
……これって大人でも、効く台詞なのね。彼はあたふたとパジャマに着がえてきた。大きなソファをパタンとバタンといじくって、ベットに変身させたのには驚いたけど。
「ベッドルーム、他にあるんだけど、今日はここで寝てもいい?」
「うん、いいよ。だって寝ながら夜景が眺められるなんて素敵」
彼は素直に横たわって、いそいそとタオルケットにくるまった。さっき、ヒロが貸してくれた氷枕を頭の下に挟み込み、髪を優しく指で梳いてあげる。
「さっちゃん」
うわ、懐かしいなその呼び方。弟のアッ君がよくそう呼んでくれたっけ。中学生になったからか、この前久しぶりに実家に帰った時には、生意気にサチなんて呼び捨てにされたけど、まさか、今更そう呼ぶ人が現れるとは……。
ふふっ、なんだがくすぐったい気分。こんなに大きな彼が、小さな頃のアッ君に重なる。
「なぁに?」
だから応える口調も、不思議と子供相手のように優しくなっちゃう。
「隣に寝て……くれる?」
はいはい、と隣に滑り込む。おでこに再び手を当てるとさっきより熱い気がした。
「ちゃんと眠らないと良くならないよ。はい、目を閉じて」
あ、懐かしい。子供を寝かしつけるのってコツがあるのだ。呼吸をリズムを相手に合わせるの。
吸って、吐いて
吸って、吐いて
……。
やだ、あたしいつの間に……どのくらい眠ったのだろう? 壁に掛けられた時計は夜中の二時を示している。やばっ、タオルケット、あたしが独り占めしている。肝心の病人が、クーラーの効いた中、なにも掛けないで眠っているではないか。おでこに触れるとぐっしょりとした汗の感触。
リビングを出てバスルームらしい扉を開ける。予感的中。ホテルのように立派な大理石の洗面台の脇に清潔なタオルが重ねられていた。その脇のクローゼットを引き出すと、お店屋さんのようにディスプレイされた下着が並んでいる。 更に下の引き出しにはシルクだろうか?さらりと肌心地の良いパジャマがあった。全て、今彼が着ているのと同じデザインの黒いパジャマだ。
リビングに戻り、氷枕を作り直す。今どき、こんなレトロな代物があるなんて……しかも、あの人、ヒロが持っているなんてね。大きな冷蔵庫の中は飲み物しか入っていない。
本当は水分補給にはスポーツドリンクのほうがいいんだけどなぁと、思いながらグラスに水を注ぐ。ソファーベッドに戻ると彼はちゃっかり、大の字になってあお向けに眠っていた。
パチパチとパジャマのボタンを外す。ぱらりと素肌がはだける。おでこ、首筋、ゆっくりとタオルをあてて、汗をふき取っていく。
抱っこちて、さっちゃん。抱っこ抱っこ。
熱にうかされて、腕を伸ばしてくるアッ君の手を思い出す。何もかもが小さくて愛しかった。だけど、目の前の彼はなんて広い胸なのだろう。厚みのある筋肉で包まれた胸板。長い腕。結構、重労働だ。
背中をふくために体をひっくり返したいのだが、重っ。持ち上げている途中で 「う〜ん」と寝ぼけた声を出すと、彼は自ら寝返りをうった。パジャマの上着をはぎとり、背中もふいてあげる。汗をたっぷりかいたせいか、熱が引いた感触。
ぺたっ。背中に手を当ててみる。うん、熱っぽくない。そう思った途端、びくっとその背中が跳ね上がった。
「さっさっさっちゃんっ?」
くすくす。笑いがこみ上げる。寝ぼけてるのかな? 口が回らない様子が面白い。
「はい、お水」
彼は、一気に大き目のカップの中身を飲み干した。
「じゃあ、下も脱いで」
「はっ?」
「汗かいたままの着てると冷えちゃうから下も脱いで」
パジャマのズボンを引っ張ると、びよ〜んとおなかのゴムが伸びた。バチンっ。さっと身を引かれたので、握っていたパジャマがするりと手から滑っていった。
「いっいいっ。自分でやるからっ」
「そう? じゃあ、はい着がえ」
「えっ? あ、下着までっ。よく、わかったね」
「勝手にごめんね。汗ふいて、着がえさせなきゃと思って。上はタオルでもう拭いたから、はい、これ着て」
肩にぱさりとパジャマの上を掛けてあげる。急に黙り込んだ彼の手を取って、袖を通してあげる。男の人ってよく育つと、こんなに大きくなるんだな。小さい頃、いっぱい牛乳飲んだのかしら? そんな事を思いながらボタンをひとつづ掛けてあげた。
ふわって髪に手を添えられる感触。最後のボタンを掛けた時、いつの間にかすっぽりと彼の腕に包まれていた。
「俺の都合で突然呼びつけて、その上こんな面倒掛けて、ごめん」
急に真面目な顔でそんな事言われると、困っちゃうな。いいのに、そんな事。だからふるふると首をふってみせる。
「だけどさ、……こんな時になんなんだけど……」
途切れ途切れの言葉を補うように、回された腕に力が込められる。
「こんな風に一緒に過ごせてさ、俺、馬鹿みたいに舞い上がっちゃって」
背中に添えられた指先が、ほんの少しだけ震えている感触は気のせいだろうか? やっぱり、汗が冷えて寒いんじゃないのかな。
「俺、自分でもどうしていいのかわからないんだよね。さっちゃんより年上で、外じゃ大人の男なんて看板背負ってる癖にホントかっこ悪いんだけど」
そう話をしながらどんどん彼の腕は隙間を狭めてくる。
どくん。
どくん。
薄いパジャマの布越しに、早すぎる鼓動が耳もとで響いてくる。力を抜いてなすがままにもたれ掛かってみた。心地よかったから……暖かくて。抱っこされる心地よさ。
抱っこちて。
抱っこちて。
あの頃、アッ君が小さな手で求めていた温もりってこういうのなのかな?
だけど……。
「うっ……ぐるぢい……」
「あっ、ごめんっ」
ゲホッとひとつ咳込んで息を大きく吸い込み呼吸を整える。
「もぉ、力、強いんだもん」
「ごめんっ、大丈夫?……ホント何やってんだろ……俺」
しゅんとした彼が、さっきより小さく見える。だからわざと少し怒った声色で彼をからかってみる。
「早くお着がえしてきなさい」
チュッ。
はっ。やばい。昔の癖が出ちゃったよ。ぐずるアッ君をコントロールする為の裏技。おでこにチュウ。
ふらふらと立ち上がると、彼は着がえを握りしめてバスルームに消えていった。これも大人に効くんだ。アッ君を調教する裏技の数々。あの頃のノウハウって、今でもそうそう捨てたもんじゃないんだな。
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