彼の背中(サチ)23話

投稿日:2018-10-20 更新日:

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目が覚めると、ユウちゃんの腕の中にいた。おでこがくっつく距離に見える彼の寝顔に驚いちゃったよ。

長い、長い睫毛、うなじに触れる冷んやりした、腕の温度。窓から覗く、朝日を透かした南国の緑葉。

不思議な朝だ。何処にいるのかなんて、わかっているのに、夢のような情景に現実感がない。

あ……ユウちゃんの唇に視線が釘付けになる。昨日塞がれた唇の感触。思い出してしまったら、かっと体が熱くなった。あの時、無様にシャンパンをこぼしてしまった自分が恥ずかしい。映画のようなシュチエーションにもかかわらず、あたしだけがミスキャストに思える。

ユウちゃんとラブシーンを交わしていた様々な女の子達。絵になってたなぁ、なんて。

真似しようにも、余裕ってものがないのだ。ユウちゃんの服の裾を引っ張って、ひっくり返らないよう、立っているのがやっとだった。

練習するなら今かもしれない。そんな思いつきに呆れながらも、少し慣らしておく必要性を否定できない。ユウちゃんは、ぐっすり眠っている。チャンスはそうそうあるものではない。キスを意識すると、ユウちゃんの唇が、誘っているような気がする。

やだ、あたしったら……。無意識に狙いを定めてる。無防備なユウちゃんを相手に、ほんの少しだけ余裕が沸いてくる。下手くそだって今なら平気だ。ユウちゃんの腕に体重をかけないよう、そっと上半身をずらす。唇を寄せて、重なる寸前で躊躇した。……真っすぐだと鼻がぶつかっちゃうよ。

馬鹿みたいだ。頭で考えると、ギクシャクとこんがらがってしまう。よく考えたら、いつも相手からのキスに合わせていただけなのだ。自分からって、意識したことすらなかった。反省しながらも気を取り直し、首を傾けて再び近づいてみる。

右? 左?

そんな今更の疑問は、頭の隅に追いやった。お手本は、昨日目撃した水上飛行機の熱々カップルだ。

チュッ。

一瞬触れるだけの口付けが、そんな音をたてるはずもなく、頭の中でイメージを鳴らしてみる。ピクリとも動かない彼の様子に、少し大胆な気持ちになる。もう一回。邪魔な髪を束ねようと、サイドテーブルのゴムに手を伸ばす。

あれ? トラベル英会話の本が置かれている。そうだ、昨夜眺めながら眠ってしまったのだ。こんなものが、ユウちゃんの目に触れてしまった。恥かしさで耳が熱くなるのがわかる。せめて、キスくらいはもう少しましにならなくちゃ。気合を入れて、髪を束ねると、彼に覆い被さる。

ぶちゅっ。

頭の中の擬音はさっきより大袈裟だ。だけど、少し長いキスの後、ゆっくりと離れると、本当に唇がチュッって小さな音を立てた。変な満足感に口元が緩む。さっきより上達した手応え。息を止めていた息苦しさに解放され、ばさっとベッドに倒れ込む。

「ん……」

小さな溜息を溢しながら、枕の下にあるユウちゃんの腕がもぞりと動いた。

「う……ん」

寝ぼけながら、ユウちゃんは腕を折り曲げてあたしを引き寄せた。おでこに唇が押し付けられる感触。

「ん、さっちゃん……」

彼の体温を吸って生温くなったシーツ。その位置まで抱き寄せられると、体全体が絡むほどの距離。もしかして、キスしたのに気付いて起きてしまったのだろうか? 後ろ手に秘密を隠して、ママの前に立つ子供の気分。

「……おはよう、さっちゃん」

耳元で囁かれる、ユウちゃんの掠れた声。視界には、洗いざらしの白いTシャツから覗く長い首。チラリと視線を上げると、形の良い顎のラインが見えた。

「……おはよ」

ばれていないよねぇ? そう思いながら口にした朝の挨拶は、妙に後ろめたく小さな声になってしまう。あぁ、でも何だか変な感じ。ユウちゃんと同じベッドで目覚めたなんて。以前にも、風邪の看病の為に彼の部屋に泊まった事はあるのだけれど、あれは状況が状況だった訳で。

ユウちゃんの身体からは、異国の香料の匂いがした。香水なんかとはちょっと違う、エキゾチックな香り。

「サッちゃんの髪、もうミーになってる」

「ミー?」

「ほら、ムーミンに出てくる女の子」

「え〜、あのミー?」

何が嬉しいのか、ユウちゃんは楽しそうに頷いている。ちょっと我侭で、ひねくれっ子ってイメージ。あんまり嬉しくない。

「これもいいけど、今日は俺にいじらせて?」

そう言うと、ユウちゃんはそっと髪に触れてきた。大きな手。そのくせに、すらりと長くて綺麗な指。

器用に髪のゴムを外される。自分の髪が、シーツの上にぱらりとほどける感覚が、妙に艶かしくて。心臓が高鳴るのが押さえられない。朝っぱらから、あたし何だか変な気分。だって、今までこんな当たり前の事を意識していなかった。今更になってつくづく感じるのだ。

ユウちゃんって、男の人なんだなって。

ほどいた髪を、長い指先で弄ばれる。ベッドにお互い横たわったままっていうのが気恥ずかしい。何だか、もう目を閉じてユウちゃんにもたれ掛かっていたい気分。

だけど、櫛で梳くようにユウちゃんの指が髪の中で動いた途端。ビクッって体が過剰な反応をしてしまった。だって、くすぐったいんだもん。

「ゆ、ゆ、ゆ……ゆううちゃんっ」

立場逆転。ユウちゃんが焦った時の口調を、真似しているみたいだ。彼は、驚いたように手を引っ込めてしまった。

あぁ、こんないい雰囲気の時にあたしって、色気がないったら。だけど、笑い出さなかっただけまだましだ。そんなことしたら、本当に呆れられるに違いない。

「お腹すいたねぇ」

一瞬、きょとんとした顔で、ユウちゃんはあたしを見詰めた。だけど、それはすぐに見慣れたいつもの穏やかな微笑に変わった。

「そうだね、どこで朝ご飯食べようか?」

こんな朝食は生まれて初めてだ。海を覗く木陰に、アダムはテーブルを用意してくれた。薄くスライスされたパンにお好みの具をのせる。

ボイルされたソーセージ、水みずしい鮮やかなレタス、卵は日本のものよりも、不思議と黄身の色合いが淡い。熟れた果物を盛りつけた皿からは、甘い香りが漂う。

ひんやりとした砂が、柔らかく裸足の足を包み込む。なんて贅沢な白い絨毯。時折り足元を横切っていく小さなヤドカリが、悪戯のように指先をくすぐる。

甘い紅茶に口を付けると、ユウちゃんが椅子を引きずって寄って来た。いつから用意していたのか、携帯用の小さなブラシを手にしている。彼は照れ臭そうにあたしの髪をとかし始めた。

目の前に広がる海は、空を蒼く写している。降り注ぐ陽射しにオブラートされた海面は、ちらちらと雨を弾くように金色に光を放つ。

ユウちゃんは器用に髪を編み始めた。時々、首筋にふわりと触れる指先がこそばゆいけど、心地良いとも感じた。

「昔観た古いフランス映画にさ、こんなシーンがあって、一度やってみたかったんだ」

「ふぅん。何て映画?」

「それがさ、覚えてないんだよね。庭にこんなふうに椅子を並べて、おじぃちゃんが奥さんの髪を櫛ですいてあげるんだ。もちろん、もう白髪のおばぁちゃんなんだけど、すごく印象深くてさ……」

そこでユウちゃんは一瞬黙り込んでしまった。あたしは話の続きを、黙ってお行儀よく待った。

「憧れてたんだ。好きな女が出来たら、こんな風に椅子に座らせて、髪をすいてあげたいなって」

ユウちゃんの指が耳朶をかすめる感触。息のかかる距離。そんな言葉で心を揺さぶられて、あたしちょっとタカが外れちゃったみたい。

ねぇ、もっとちゃんと触れて欲しいんだけど。……いや、違う。欲しいなら自分で掴まないと駄目なんだ。ねぇ、ヒロ、あたしは手を伸ばすね。

編み終わった髪の毛先っぽを、ユウちゃんはゴムでとめている。満足そうに正面から、あたしの三つ編みを眺めている。

上手く出来るなんてわからないけれど。椅子の肘掛に手を付くと、腰を浮かせて距離を縮め、ぶつけるように唇を合わせた。もっとふんわりと優しいキスをしたかったのに、気持ちばかり焦っちゃって勢いがつき過ぎた。まるでキツツキじゃない。

ユウちゃんを相当、驚かせたようだ。言葉を失ったまま、呆然と椅子にもたれてあたしを見ている。何ていうか、脱力しちゃってるって感じ。キスって言うより、パンチって感じだったからショックを受けているのかもしれない。気を取り直して、もう一度チャレンジしてみよう。さっきだって二回目の方が上手く出来たもの。

あたしは椅子から立ち上がると、椅子に座るユウちゃんを上から見下ろした。ぼんやりとこちらを見上げる彼の白いTシャツには、三つ網をぶら下げたあたしの濃い影が映っている。

そっと指を伸ばし、手の平で、彼の頬っぺたを包む。分っているくせに、ユウちゃんは瞼を閉じようとしない。何かを探すように、あたしの手の平の中から、じっとこちらを見詰めている。今度は、パンチじゃないキスをあげるから……。

意識してゆっくりと、唇を重ねた。唇に触れる瞬間、ユウちゃんの睫毛がゆっくりと伏せられるのが見えた。

ぱさり。

そんな音が聞こえたのは気のせいだろうか。頬に添えた指に感じるユウちゃんの髪の感触。腕の中に大事なものを抱えている、そんな気がした。

何だか離れがたくて、酸欠にならないように息継ぎをしながら何度もキスを重ねる。不思議な感情がじわじわと心に染に込んでくる。

何だろう?

ふと、唇を離してユウちゃんの頭を抱きかかえてみた。そうしたかったから。海風にそよぐユウちゃんの髪が、悪戯にあたしの顎をくすぐる。

あぁ、そっか。

あたしの心をひたひたと満たしていく正体。こういう感情を、幸せって言うのかな。気付いてしまったら、妙に気恥ずかしい。ユウちゃんも黙り込んだままだ。

どちらが何を言ったわけでもなく、テーブルを離れて二人で海辺を散歩した。この島に来てから、あたし達は靴という存在を忘れてしまった。裸足で踏みしめる、砂の柔らかさや意外にもひんやりとした温度。地球を感じながら歩く喜びがあった。

絡めあった指先。ちらちらと遠慮がちに交差する視線。何もかもがさっきまでと違い、より一層輝いて見える。気持ちが通じ合っている、なんて言ったら自惚れだろうか? 誰の目も気にすることなく寄り添い、太陽の下で交わす口付け。恋人同士って感じ。今更だけど、素直にそうなんだって思えた。

午後からドーニに乗って、シュノーケルに出かけた。

「すごくいいところがあるんだって」

子供みたいに嬉しそうに目を輝かせながら、ユウちゃんが耳打ちしてくる。沈み込む程に柔らかいベージュのクッションにもたれながら、通り過ぎていく島々を眺める。

なんて贅沢な時間だろう。傍らにはユウちゃんの笑顔。

あたしたち、朝からずっと手を繋いでいる気がする。海のど真ん中でドーニはとまった。そこだけ、周りの海と色合いが違う。

「ここから飛び込めだってさ」

アダムの英語を、ユウちゃんが説明してくれる。

「え、足がつかないよ?」

「海亀が見れるくらいすごいらしいよ」

その言葉に慌ててマスクとスノーケルを装着すると、あたしは船から下ろされた階段をつたって海に飛び込んだ。

ポチャンッ。

塩分が濃いのだろうか、簡単に身体が浮く感覚。マスク越しに海の中をのぞきこんで、あたしは息を呑んだ。魚の群れ。いや、群れなんてレベルじゃない。渦だ。何万匹という、爪先程の小さな魚の渦の真ん中に入り込んでしまっていた。よく観察すると、骨が透けて見える。まるで、海の泡のから生まれた魚だ。

ざふんっ。

すぐ隣に、ユウちゃんが飛び込んできた。驚いたように、魚のカーテンがふわりとなびく。だけどそれはほんの一瞬。すぐにもとの形に戻り、渦を巻き始める。

ユウちゃんがあたしの手を引いて泳ぎ始めた。魚のカーテンをくぐり抜けると四、五m程ある水深の浅瀬が広がっていた。

あぁ、海の色合いが変わっていたのは、この浅瀬だったのか。船から眺めた時、濃い藍色の海面が、ここだけぼっかり丸くとソーダブルーだったことを思い出す。珊瑚に戯れるチョウチョ魚が踊っている。

ひゅんっ。

ものすごい勢いで前方から何かがすり抜けていった。

ひゅんっ。

青い…魚?

ユウちゃんが指差す方向に目を向ける。海の中にコバルトブルーの雲が浮かんでいた。なぁに? キラキラしてる。水中のあおい雲はあっという間に目の前に迫ってくる。

ひゅんっ。ひゅんっ。

信じがたい現実に、ただ海の中、立ち尽くしていた。それはアジ程の大きさの、青い魚の群れだった。

ざぁぁっ。

横殴りの雨のようにそれはあたし達に降り注いできた。思わず力を込めてユウちゃんの手を握り締めていた。繋がった腕の隙間も、魚は鱗を輝かせながら矢のごとくすり抜けていく。同極の磁石が決して触れ合わないように、尾ひれひとつあたし達にぶつけてくる事はない。どんな反射神経なのだろうか。

百匹? 五百匹? ただ唖然としながら、青い嵐が吹き抜けるのを眺めていた。彼等が慌てている訳を、あたし達は急に開けた視界に知る事となる。

ゆらり。

嵐の後の静けさに、不気味な黒い影が忽然と現れたのだ。でっかい……いかつい顔で、憮然とこちらを睨み付けているのは、大きな顎を持った一匹の黒い魚だった。一瞬、さっきの光景が、ライオンから逃げるシマウマの群れに思えた。大きいといっても、ライオン役の黒い魚はあたしよりは小振りに見えた。

サメじゃないし、まさか人間を食べないよねぇ。ユウちゃんがあたしを庇うように一歩前に出る。その背中がやけに大きく見えた。

魚は機嫌が悪そうにプイッと向きを変えると、あたし達から離れていった。海は何事もなかったかのように、南国の陽射しを溶かし輝いている。

ダイビングをした訳じゃない。シュノーケルでちょっと、海を覗き込んだだけなのに。

すごい。
すごい。

穏やかに揺れる海の下では、こんなドラマが繰り広げられているなんて。

しばらく浅瀬のシュノーケルを楽しんだ後ドーニにあがると、デッキのテーブルに昼食が用意されていた。香ばしいカレーの匂い。インドのようにモルディブではカレーが日常食なのだと、アダムが教えてくれた。あたし達は興奮を押さえきれず、食事をしながらさっきの光景を語り合った。

「食われるかと思って焦ったよ。目を反らしたら負けだと思って、俺ずっと睨み合ってたんだ」

くすくすと笑い合う。この島に来てから、初めて経験する事ばかりだ。その秘密を二人で積み重ね、共有する。けれどもあたしの記憶にだけ焼き付くものも在る。

そう、例えば彼のさっきの背中。あたしを庇おうとした、さりげない仕草。

あ、まただ。どんな仕組みでこういう想いが湧き上がるのか……慣れない感情に胸が熱くなる。

ユウちゃん。
ユウちゃん。

一緒にいると、楽しくって、可笑しくって、だけど、触れていたくて、一瞬でも離し難いなんて思ってしまうよ。

「今夜はナイトクルージングに出かけて、そのままドーニに泊まってみようか?」

ユウちゃんが思いついたように、そう口にした。

「そっか、ドーニに泊まってもいいんだものね。海の上で眠るなんて初めて」

アダムを呼ぶと、ユウちゃんはその事を相談した。アダムは肩をすくめて、申し訳なさそうに答えている。

「どうしたの?」

「今夜は結構激しいスコールが来そうなんだって。せっかくナイトクルージングで星空を見るなら明日のほうがいいんじゃないかって」

「じゃあ、明日がいいね。どうぜなら満天の夜空を眺めたいもの」

お楽しみが一日伸びてしまったけれど、それは大した事じゃない。

だって、ほら。

他にも沢山のワクワクが、ここには溢れているんだもの。

 

 

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