「ユウタがあんな風に笑ってるの久々に見たな」
軽快にハンドルをさばきながら、岡部がぽつりとこぼした。俺は、そう? とそっけない返事をする。奴の指摘とは逆に、俺は不機嫌だった。
どうしてって……
「お〜か〜べ。お前本当に丁重にお誘いしたのかよ彼女の事」
「あぁ? したさ、この後、内輪の2次会があるので、よろしかったらサチさんもいかがですかってさ」
「桂木ユウタが是非と申しておりましてって、どうして言わないんだよっ。内輪の……なんて言われたら行き辛いと思うだろう?」
くだらない余興の為に司会に呼ばれて舞台に上がった。会場は人でごった返している。スポットライトに照らされて、こちらからだと皆が影に見えた。あの子を……サチを見失ってしまった。
岡部の言う通り、そう、彼女を相手に話す時間は新鮮だった。なんていうの? 次元……いや、時空すら違う場所に住んでいる気がする。あの妖精の羽の話を口にした時の彼女、口調まで子供みたいで、演技しているのかと思った。ま、この業界じたい普通の人から見たら異質な世界だし、変わった人間が多い。だけど……。
拍手の中、舞台から降りると遠目にサチが会場の扉から出て行くのが見えた。追いかけたい衝動。だがそんな行動はカメラのフラッシュに遮られた。だから岡部に頼んだのだ。追いかけて、この後の内輪のパーティに誘ってこいと。
肝心な時には使えない野郎だな。断られたってどういう事だよ? 次に会うチャンスなんて、あるかすらわからないっていうのに。
「何かさ、うらめしそうな視線がグサグサささるんだけど、逆恨み止めてくんない?」
「何だよ逆恨みって」
「あの子、ユウタが直接誘ったって断ったぜ、きっと」
思い出したように岡部が小さく笑っている。何だよ、その意味深な笑い方。
「お前が愛想のない誘い方したんだろうが。想像つくぜ」
手を伸ばして、運転している岡部の上着のポケットからマルボロの箱を取り出す。
「おい、ユウタ、禁煙中だろう」
無視して火を付けると深く吸い込んだ。呆れた溜め息を奴はこぼすと、車の窓を少し開いた。
「何? 珍しくマジじゃん。地味な子だったけどお前の好みだった?」
うるせえよ。と、悪態をつく。
「随分、あの子相手じゃ猫かぶってんのな。紳士で大人の桂木ユウタが板に付いてきたじゃん」
「あのさ、それが地の俺な訳。もうガキじゃないの」
あぁ、そうだよな。きっと俺が誘っても内輪のパーティなんて、彼女は来なかったかもしれない。
“褒めてるわけじゃないですよ。羽ばたくって感じ……”
彼女のさっきの台詞が頭をよぎる。 媚のない眼差し。降り注ぐスポットライトに照らされながら、賞賛を耳にするのがあたりまえの日常だった。
なのに、どうしたんだよ? あの子のその一言に、こんなにも救われた気持ちになるなんて……
疲れてんだよな。俺、ホント疲れている。昔のアイドル時代とは違って、スケジュール的には余裕がある。全くのオフなんてほとんどないけど、睡眠時間は取れるようになった。ま、若いって年でもないしさ。
だけどこれから先は、もっともっと磨かれた質の高い仕事をこなしていかなきゃ、この世界生き残れるはずもない。商売用のハリボテと、現実の自分とのギャップにプレッシャーを感じていた。
紳士で大人でセクシーな男。
それって誰だ?
俺なんて、羽が折れて地面をはいつくばってる、あの渡り鳥みたいなもんなのに。
行き先さえも見失って……。
“羽ばたくって感じ”
あの子がそう囁くと、折れた羽に、力を注ぎ込まれるように感じた。トンボよりも、もっと高見へと、俺は羽ばたける鳥の羽を持っているんだなんて暗示をかけてくれる。
なんて事ない、普通の女。なのにどうして? もっと一緒にいて、彼女を知りたいだなんて……。
ただの直感。この泥沼から救い出してくれる気がした。
疑心、嫉妬、焦燥……綺麗事じゃ生きていけない世界にもまれて、薄汚れた自分に嫌気がさしていたんだ。
もう、本当にめいっぱいだった。逃げ出したいとさえ思っていた。そう、そんな事を感じ始めた頃…、偶然サチの描いた絵本を見た。
撮影の合間の待ちの時間に、顔馴染みの助監督が本を広げて、なんともいえない顔でにやにや笑っていた。
覗き込むと文字がほとんどない絵本だった。髭面の四十男が何を絵本なんて眺めて……と、怪訝に思った。彼は小学一年生の子供に、夏休みの読書感想文にする本を相談されたのだと言った。絵ばかりの本がいいと、リクエストされたのだと。
それって読書感想文になるのかよと思ったが、口にはしなかった。
「絵本なんてさ、ガキでも出来なきゃまた見ることもなかったよ。適当に選んだんだけど、コレ当たりだったかも」
手渡された本に興味もなかったが、仕方なしにパラパラめくる。
タイトルは『たからもの』子供の頭のなかの玩具箱をひっくり返した世界。
カブト虫の馬車。
蜘蛛の巣の観覧車
虹の滑り台。
空飛ぶ靴
黒いクレパス画に淡い水彩で色づけしてある。不覚にも懐かしい気持ちがこみ上げてきた。大きな木のてっぺんにある秘密基地が目に止まる。俺も憧れたなぁなんて。
描かれている子供の顔が良かった。何か企んでいて、堪え切れずにこぼれる無邪気な笑顔。
俺、重症だと思った。こんなガキの本が欲しいだなんて。ネットで売り切れだったから岡部に頼んだら呆れた顔をされた。だって、俺が本屋に絵本なんて買いに行く訳にいかないじゃん。
マンションに帰ってから、背表紙の裏に、サチのプロフィールと小さな写真が刷り込まれているのに気付いた。へぇ、3人くらい子供がいるベテラン主婦みたいな人が作者かと思ったら、意外にも若い女。
長い髪。
優しい笑顔。
子供のようなあどけない瞳。
作り笑顔の世界の中で息をしている俺には何だか新鮮だった。
俺、ずっと不思議だった。テレビや映画や写真集の俺しか知らない女達が、どうしてこんなにも自分を好きだと言うのだろうと。
徹夜で張り込んだり、サインひとつに涙をこぼしたり、愛の告白を手紙にしたためたり。そんなファンがありがたいと思いながらも、馬鹿みたいだと思った。触れられない男を相手に恋なんてして、意味あるのかよ……なんて。生身のオトコとの出逢いを探したほうがいいんじゃないの。
なのに、どうした? サチの写真を夜中に変装して、コンビニのカラーコピーで引き伸ばした俺。大事に財布に入れているなんて、岡部だって知らない秘密。
仕事の合間にそっと覗き見ると、なんだか癒されるっていうの? どきどきした。
中学生の初恋みたいに。新鮮なその感情が、俺を洗い流してくれる。
運命の出逢い。
病院行った方がいいのかな? 芸能人御用達のメンタルクリニックってどこだろう。
……だから本を出す企画を聞いた時、表紙に彼女を指名した。自伝なんて本当は興味もなかったけど、サチと接触するいいチャンスだと思った。
どうせ記事のほとんどは、ゴーストライターが上手い具合にまとめてくれる。イメージにそうように、だけどファンが喜びそうな嘘っぱちのプライベートなんかを織り混ぜて。
岡部は、表紙には俺の写真の方がいいと言い張った。だから、わざと馬鹿にしたように悪態をついてやる。
「お〜か〜べ、なにそのありきたりな発想。意外性って言葉知ってんのかよ」
カチンとした顔で奴が睨んできた。こんな言い草は、コイツにしかしないけどね。昔馴染みってやつ。