リベンジ-1(サチ)

投稿日:2019-09-15 更新日:

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ふわふわのほっぺ。

少し癖のある髪。

上目遣いにあたしを覗き込む瞳。

遺伝子って凄い。

……いや、だけど、あたしの面影が何処にも見当たらないのってどういう事?

 

「さっちゃん、嫌。お出かけしない」

唇を尖らせてふるふると首を振ってみせる。

あぁ、始まった……と、冷や汗をかく。

「ぼく、今日は新しいお部屋でずっとカブトムシと遊ぶの。電車に乗せてあげるんだもん」

目の端に浮かべた涙。

だけど、最近この子には、演技力というものが備わっている事実に気付いてしまった。

血は争えない。

本気で泣くほどに嫌な時は、耳の端が赤くなる。

そっとチェックすると、その兆候は現われていないようだ。

どうやら拗ねている程度の嫌々モード……。浮かべた涙にはちょいとばかり演技が入っているなと判断する。

「あれ、ヒロと約束しなかったけ?新しい幼稚園いい子で通うって」

「だって……」

紺色のセーラー服。ベレー帽。

いっぱしの制服がミニチュア化されているってところが、可愛らしさを一層引き立てている。

そんな装いで拗ね拗ねされちゃうと、つい甘い顔をしてしまいそうだ。

「だってお友達、誰もいないよ。つまんない」

あ、やばい耳の端が赤くなってきた。

本気モードに突入しちゃう。

「じゃあ、新しいお友達いっぱいできるようにってママがおまじないしてあげるから、そしたら行ける?」

「う……ん」

「おまじない、3回してあげるよ。それにねほら見て」

後ろ手に隠しておいた物を目の前に披露する。

「わぁ、すっごい」

朝五時起きしましたのよ。気合の傑作。

「なになにこれっ。パンダさんだ!」

そうそう、ご飯の上に乗せる海苔をはさみでチョキチョキしてパンダの絵柄に切り抜いたのだよ。

幼稚園弁当……奥が深いっ。

「ほら、ウインナーもタコさんだよ」

「わぁ、これぼくのお弁当?」

「幼稚園行くなら、食べれるんだけどなぁ。ね?」

「……う……ん。じゃあ、おまじないして?」

前髪をちょいちょいっとかき上げて、可愛いおでこを覗かせる。

ちゅちゅちゅっ

小さな手が伸びてきて、ぎゅうって抱きつかれる。

上目遣いに甘えるように覗き込んでくる。

……あぁ、いつもの事ながら……ユウちゃんのミニチュアがここに居る。

あとで、この可愛らしい制服を写真に撮ってユウちゃんにメールで送ってあげよう。

今、ハリウッドって何時だっけ?

「さっちゃん、ぼく、幼稚園行く」

あぁ、良かった。胸を撫で下ろす。

シンガポールから先週、帰国したばかり。

年中さんの途中入園。

ヒロが探してきてくれた幼稚園は新設校でまだ名が知れていなく、しかも檀社長の知り合いが理事長を務めている。

帰国子女が多く、英語での授業も半分を占めるそうだ。

子供は環境に適応する。

生まれてからずっとシンガポールで5歳まで育った陸(リク)は、英語も日本語も流暢に話す。

色々とこれからのことを考え、小学校就学前にと日本へ戻ってきた。

ヒロとユウちゃんは、来月ハリウッドから撮影を終えて帰国する予定だ。

ユウちゃんとは……二ヶ月会っていない。

最近、忙しさが拍車をかけている気がする。

まるで母子家庭……。

「さっちゃん、ね、行こう」

小さい指があたしの服の裾を引っ張る。

ミニチュア・ユウちゃんがあたしに笑いかける。

ちょっぴり寂しさがよぎっていた心に、一気に暖かさが注ぎ込まれる。

あぁ、でもあたしの呼び方までユウちゃんと同じとは……

いくら、ママですよって言ってもユウちゃんの真似なのか「さっちゃん」としか呼んでくれない。

さっちゃん。

さっちゃん。

留守がちなユウちゃんが居ない寂しさから、そう呼ばれることに少し安堵感を覚えてしまっていた。

だから長い事、本気で呼び方を直させようとしなかった。

あぁ、今更ママと呼ばせようだなんて後の祭。

自業自得なのだ。

きっと担任の先生に呆れられるに違いない。

幼稚園は都心ながら閑静な住宅街の一角にある。

温厚な人柄が伺える園長先生が園内を案内してくれる。

広尾という場所には贅沢な程に緑豊かな敷地。

園庭にはウサギやリスの飼育小屋まである。

陸と同じ制服の園児達が、野菜スティックを片手に鈴なりになっている。

その様子を羨ましそうに眺めていた陸に、三つ編みの女の子が自分の餌を差し出してくれた。

「一緒にあげよう。ウサギさん、あっちにもいるんだよ」

屈託のない笑顔。

「……う……ん」

恥ずかしそうに陸はもじもじとしている。

女の子はじれったそうに、陸の手を握った。

「行こっ」

……積極的っ。

嬉しそうに陸は一緒に走り出した。

お友達一号の登場に胸を撫で下ろす。

途中、担任の先生らしき人が陸を呼び止めた。

五歳児の身長まで目線を下げ、陸に何やら話しかけている。

嬉しそうに陸がはにかんでいるのが見える。

うんうんと頷いて、再び女の子と走り出した。

紺色のジャージを着た男の先生。

ふぅん。

幼稚園の先生って、女の人ってイメージだったから……意外かも。

「山崎先生っ」

園長先生がジャージ先生を呼び止める。

「こちら、桂木陸君のお母様だ。ちょっといいかな」

ぺこりと会釈をすると、先生がこちらに近づいて来る。

背、高いなぁ。

……え……っ。あれ……この人……。

「桂木さん、こちら担任の山崎先生です。応接室の方で、少し面談なさっていっ
てください。あ、山崎先生。私がしばらく子供達を見ているから、桂木さんをご案内して」

園長先生は、すたすたと飼育小屋に向かっていった。

「は……い。あ、ではこちらにどうぞ」

すたすたと歩き出したジャージの背中を呆然と眺める。

彼は振り返り、再び「こちらにどうぞ」と言った。

その顔が強ばっているのが見てとれて、この状況が再び現実なのだと認識した。

バタンっ

シックなソファが置かれた応接室の扉を閉めると、それまで神妙な顔をしていた彼が深い溜め息をついた。

と、次の瞬間照れ臭そうにガリガリと頭をかきむしった。

「嘘みてぇ、すげぇビックリしたっ」

キョトン。

あまりの変貌ぶりに、目が点になる。

「信じらんねぇよ。さっきの子、まさかサチの子供っ?」

あぁ、やっぱり本当にあの山崎君なんだ……名前を呼ばれて改めて確信する。

「こんな偶然ってマジであるのな?見て俺の手っ。汗でグッショリ」

子供みたいな笑顔で、嬉しそうに手を差し出してみせる。

こういう仕草、変わらない。

ちょっぴり懐かしさが込み上げる。

黙り込み固まっているあたしに、山崎君は困った顔でボソリと呟いた。

「……ごめん、一人で舞い上がっちゃって。あんな別れかたした男に、今更会いたくもなかったよな」

あんな……

ふと、とある場面が頭をよぎる。

あんな、あんな、あんな、あんな……

「……おい、顔、真っ赤だぞ」

「っ、だって、変な事言うんだもんっ」

「変なことって……ばぁか、何思い出してんだよ」

しん……と沈黙が二人を包む。

ちらりと視線を流すと、目が合った。

彼はばつが悪そうにぷいっと視線を反らした。

「……ごめんなさい」

そう、あたしちゃんと謝らなくちゃいけない。

「……あの時すごく無神経な事して、山崎君の事傷つけたって思ってる」

深深と頭を下げた。

あの時は気まずさに逃げてしまったから、今更だけど……

「ほ~んと、俺、あれからしばらく立ち直れなくってさ、ぼろぼろだったんだぜ」

肩をすくめて山崎君はおどけて見せた。

「でもさ、まぁ、俺のテクニックがまだまだ未熟だって事でさ、仕方ないよね」

かっかっ、かっかっ。

顔がどんどん熱くなるのがわかる。

一体何の話をしているんだろう、幼稚園の応接室で。

「今なら少し名誉挽回できるぜ。サチ、試してみる?」

「……馬鹿っ」

もうやだ、もうやだ。

陸じゃないけどあたしが登園拒否したい気分。

これ以上、返す言葉もなく途方に暮れていると、山崎君はくすりと笑って見せた。

「昔話はこれくらいにしましょうか、桂木陸君のお母さん」

すとんと、声のトーンが落ちたのがわかる。

「今日から担任を受け持ちます山崎です。
まだこの仕事を始めて2年目の新米ですけど、情熱だけは誰にも負けません。どうぞよろしくお願いします。

え、え。

落ち着き払った彼の大人びた口調の変化に頭がついていかない。

「ほら、しっかりしろよ。仕方ないだろう?神様のめぐり合わせだ。
確かシンガポールから引っ越してきたんだよな、これからの参考にするからさ、少し陸君の話、聞かせてよ」

ソファーに座るように案内される。

あたしは聞かれる質問にただ答えるのに精一杯だ。

陸のお気に入りの遊び。

好き嫌いはあるか。

就寝時間、起床時間。

アレルギーは?今までの病気の既往歴……。

山崎君は、真剣な様子で陸の事を知ろうと耳を傾けている。

知らない、こんな彼を……

先生の顔。

あたしの知らない時間が彼を変えていた。

「お父さんとは一日にどのくらい過ごせるのかな?」

「え……」

「陸君、お父さんとコミュニケーション取る時間どれくらいあるのかな?」

…………。

ユウちゃんと陸。

ユウちゃんは、助演男優賞のオスカーを受賞した。

もともと日本では有名人だったのだけれど、その受賞を境に彼のステージが変わった。

舞い込む有名監督からの出演依頼の数々。

そんな中でも無理して時間を作ってユウちゃんは、撮影の合間に帰ってくる。

いや、顔を見せにくるといったほうがいいかもしれない。

ユウちゃんがこられない日々が続くと、頼まれたヒロが一人で様子を伺いに帰ってくることすらあった。

その分、ユウちゃんよりヒロのほうが陸の日常を知っている気がする。

ユウちゃんと陸。

コミュニケーションって言ったって……

「あの、海外出張とか多い人で……あんまり一緒に居られないくって……」

「そっか」

あたしの話をさらさらと、手帳に書き込んでいた山崎君の手が止まる。

テーブルをはさんで真っ直ぐに見つめられ、あたしは何処を見ていいやら……視線が泳いでしまう。

「陸君女の子みたいに可愛くってビックリしたよ。
サチの子供っていうなら尚更だ。うんとひいきしちゃうからさ、安心して俺に預けてよ」

あたしの不安を癒すような優しい声色にはっとする。

山崎君はそろそろ教室に戻るからと立ち上がった。

あたふたと、あたしも腰を上げる。

立ち上がったついでに、よろしくお願いしますと改めて頭を下げた。

こちらこそと山崎君も丁重に頭を下げてみせた。

ドアに導かれ、彼がノブに手を掛ける。

「……サチ」

背の高い山崎君の、呟くような呼びかけ。

見上げるように視線を彼に流す。

「お前さ、すげぇ、綺麗になったのな。最初顔合わせた時、一瞬すぐにはわからなかったよ」

「え……」

ユウちゃんじゃない人のそんな言葉は耳慣れなくって……馬鹿みたいにドギマギしてしまう。

「ま、旦那がそんなに留守がちなら、俺の入る隙間あるかもね」

ふっと、山崎君の瞳に浮かんだ悪戯っぽい光。

昔付き合っていた頃、いつも、彼はこんな風にあたしをからかってはその反応を楽しむ癖があった。

そう思うとちょっと、言い返してやりたい気分も湧いてくる。

あたしだって、子供みたいなあの頃のままじゃないんですからね。

「山崎先生」

そう言葉を返したあたしの反応は予想外だったのだろう。

彼が一瞬身構えたのがわかる。

「プライベートに個人情報を流用するのやめて下さいね」

きょとんとした顔を見せた後、まいったなと山崎君は小さく笑った。

「最近のお母さんってきつくってさ。お手柔らかに頼むよ、ね」

大袈裟に拝む仕草。

可笑しくって、つい、つられて笑ってしまった。

陸を山崎君に預ける安堵感。

そう思わせる真面目さと優しさが、ちゃんと彼に根付いている事をあたしは知っている。

だけど、彼が開けてくれたドアをくぐり抜けながら、ユウちゃんにこの偶然をどう話そうかと、頭の隅で途方に暮れていた。

山崎正樹。

ユウちゃんと出会う1年半前、ほんの半年くらい付き合った元彼。

別れた理由は……

くすぐり体質のあたしが、あの最中に笑い出してしまったこと。

そんな関係はほんの数回だったけれど……。

我慢して我慢して、でもくすぐったくってどうしても我慢できなかった。

いや、あたしが悪い。

どう考えても悪い。

トラウマになったよって彼は肩を落して服を着た。

気まずくって気まずくって、何となく自然消滅してしまった。

好き……だったのかと問われれば、どうだったんだろう。

そんな理由で消えてしまった昔の淡い恋物語。

まさか、気の遠くなるような年月の果てにこんな形で再会するなんて。

幼稚園の先生って……聞いてないよ。

あ、でも、まだ2年目って言ってた……よね。

どうしよう。

こんな事、黙っているわけにはいかない。

だけど

だけど

来月まで日本に帰らないユウちゃんに、いつ、どうやって告白したらいいんだろう。

いや、言ってしまったら…………どんな事態になるのかなんて、考えただけでも目が回りそうだ。

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